悩めるママの子育て徒然日記

30代主婦 三児の母 趣味は料理、散歩、読書 旦那さんからは『悩むことが趣味』と言われている

後悔

 先日、子供たちを連れて母方の祖母の家へ行ってきた。コロナ渦のため、なかなか会いに行くことができなかった。祖母は、久しぶりにひ孫に会えて大喜びだった。

 子供達はというと、上の子ちゃんは久しぶりにもかかわらず、祖母に対して物おじすることなく、挨拶も受け答えもしっかりとできていた。頼もしい限りである。そして、下の子ちゃんはというと・・・。

 祖母に会う前から「恥ずかしいんだよね~」と本人が申告していた通り、ばっちり人見知りしていた。祖母に話しかけられたら俯く。祖母が近づくと、私たちの後ろに隠れる。食事は、少しでも自分の視界に入らないよう、ひとりだけ反対方向を向いて食べる。あまりの徹底ぶりに、皆、苦笑いしかない。が、上の子ちゃんもかつてはそうだった。まあ、そのうち慣れてくれればいいなと、あまり深く考えずにいる。

 祖母の家から帰る途中、運転してくれている旦那さんに「今日は連れて行ってくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えた。旦那さんは、「いやいや」といいながら「会えるうちに会っておいた方がいいからね」と続けた。

「そうだね」

旦那さんの言葉に相づちを打つと、胸にチクリとした痛みが走った。祖父のことを思い出したからだ。

 私の母方の祖父は、コロナ禍で亡くなった。最初は風邪をこじらせて、地元の大きな病院へ運ばれた。もともと年老いていたから、身体は弱っていて、日々、介護が必要な状態だった。風邪が治っても、そのまましばらくはその病院に入院することもできたが、リハビリをすれば少しは回復する可能性があったので、風邪が治った時点でリハビリをしてもらえる病院へと転院した。

 祖父が大きな病院に入院した時、ちょうど、コロナが流行し始めたころだった。まだ、面会はできたけれど、私は子供たちを連れて行かなかった。祖父は子供たちに会いたがったが、病気の人が大勢出入りするところへ、幼い子供たちを連れていくのに気が引けた。それに、転院先の病院は人の出入りが少なく、祖父が入院する部屋は個室だった。なので、そちらでゆっくり子供たちを会わせればいいと思っていたのだ。

 転院先で、祖父は回復するどころか、徐々に弱っていった。コロナもどんどん流行して、面会は制限され、孫までしか会うことが許されなかった。祖父には電話で何度か子供たちの声を聞かせたが、はたしてひ孫だと分かっていたのかどうかは分からない。

 まだ、祖父が大きな病院にいた時、私の妹も一度、祖父のところへお見舞いに行っている。妹は遠方に住んでいて、普段はなかなか、祖父のところに顔を出せなかった。ちょうど子供を出産していて、まだその子の顔を見せていないからと、急遽、帰って来たのだった。

 祖父は妹の子供を抱かせてもらうと、しばらく離さなかったらしい。後になって、「おじいちゃんは、もう二度とこの子に会えないと分かっていたんじゃないかと思った」と漏らした。

 その話を聞いた時、私の胸に後悔の念が込み上げてきた。祖父は私の子供をかわいがってくれていた。会えるときに、なぜ、ひとめでも会わせてあげなかったのだろう。今でも思い出す度、泣きたくなる。

 だから、もう二度とこんな思いをしないように。なるべく、会えるうちに会っておきたいと思う。

 祖母とはコロナが終わったら、みんなで食事やお出かけへ行こうねと話している。祖母も、楽しみにしてくれている。早くコロナが収まり、安心して皆が外へ出かけられる日が来ることを切に願うばかりである。