悩めるママの子育て徒然日記

30代主婦 三児の母 趣味は料理、散歩、読書 旦那さんからは『悩むことが趣味』と言われている

もしも英語を自由に使えたら

 もしも、英語を自由に使えたら、ヨーロッパにしばらく滞在して、マーケット巡りをしてみたい。売り場の人にレシピなどを聞きながら、その土地で取れる農作物や作られている加工品を購入し、滞在先に持ち帰って、キッチンで調理するのだ。そして、旦那さんと一緒に出来上がったものを楽しむ。これが、私のやりたいことだ。

 私の通っていた中学は、中学三年生になると、希望者は夏休みに海外へホームステイできる制度があった。建前上、英語の成績がある程度良いことと、選考試験をクリアすることという条件はあったが、希望者はみんな行けた。

 その頃、海外に興味のあった私は当然、申し込んだ。学校を通してのホームステイだったので、親の了解も得やすかった。英語の成績も良かったし、選考試験もそれなりに頑張った。けれど、結果は不合格。私だけ行けなかった。

 理由は私が食物アレルギーだったこと。私を受け入れるホームステイ先が見つからなかったのだ。

 この時、もっと粘れば良かったのかもしれない。でも、私は自分が食物アレルギーだという事に負い目を持っていた。食物アレルギーを理由に断られることに慣れていた。だから、ただ、その現実を受け入れ、どれだけ英語を頑張ったとしても、自分の身体では海外にいけないのだと思ってしまった。

 それ以来、英語の勉強にはあまり力が入らなくなった。

 大学を出て、しばらくふらふらしていた頃、なにか自分の殻を破るようなことをしたくなった。その時、偶然、海外のボランティアツアーというものを知った。

 あまり、観光には興味がなかったから、海外旅行に行くという考えはなかったが、現地の人と触れ合ったり手助けができたりするというのは、その当時の私にとっては魅力的だった。会話は基本的に英語になるので、英語を勉強する必要はありそうだが、行けるのなら頑張って勉強し直そうと思った。

 私は早速、ツアーを企画している会社に電話を掛けた。食物アレルギーがあっても参加できるか知りたかった。そして、聞いてみた結果、やっぱりだめだった。ボランティアツアーは基本的に、発展途上国に行くので、食物アレルギー対応までは手が回らないとのことだった。普通の観光ツアーなら対応ができるかもしれないと言われたが、別に観光をしたいわけではない。

 結局、海外へ行くのは諦めた。

 そして、また、英語から遠ざかった。

 転機が訪れたのは、社会人になってから幾年かたった頃だった。今の旦那さんと出逢い、結婚が決まっていた。

 ある日、突然、母が海外旅行に行こうと言い出した。理由は、私が結婚したら、もう家族でいけなくなるから。その前に、私と母と妹と三人で海外に行きたい、と。

 私は断った。母と行くと、ろくなことがない。けれど、それが聞き入れられないだろうという事も分かっていた。母は、旅行に関しては行くと決めたら絶対行く。

「どこがいい」と聞かれても、そもそも海外へ観光ツアーに行きたいと思ったことのない私に行きたいところなどない。ふと、少し年の離れた友人が、昔、旅行でヨーロッパのクリスマスマーケットに行ってきたらしく「本当に楽しかったから、あなたも一度行ってみるといいよ」と言っていたことを思い出して、そのまま母に伝えた。

 母はすぐさま色んな旅行会社から、クリスマスツアーに関しての資料を大量に取り寄せた。この時点で、もはや、逃げられないと悟った。

 当初は乗り気の無かった私だったが、母の取り寄せた資料を見ていくうち、段々、乗り気になってきた。なぜなら、クリスマスツアーの主な内容は、色々な市町のクリスマスマーケットを回ることだからだ。

 マーケットに行くまではバスに乗って移動するが、マーケットに着いたら自由行動だ。多少、昼食や夜食がついている日もあるが、基本的に昼食や夜食はマーケット内を巡りながら自分たちで購入しなければならない。ただ、バスに乗り、建造物などを回るツアーではなく、現地の人たちと直接触れ合える機会が多々ある。

 これはいいツアーを選んだかもしれない。そんな風に思うようになっていた。

 旦那さんとデートをしていた日、母から電話が掛かってきた。
なんと、クリスマスツアーは人気で、二人分しか予約が取れないというのだ。ちょうど、旅行へ行こうと動き出しのは秋。行きたい人は皆、動いていたというわけだ。

 じゃあ、やめかと思ったら、母は諦めなかった。二人しか行けない。でも、私と母で行くと言ったら妹が拗ねる。だから・・・。

「彼(今の旦那さん)と二人で行ってらっしゃい。予約を取りたいから、彼のパスポートの番号を聞いて」

 そもそも、なんで、海外へ行くことになったんだっけ?

 私は困惑する。けれど、母は退かない。母はこの時、私が彼と一緒にいることを知っていたから、とにかく彼と電話を替わってくれと言う。だいたい、二、三日の国内旅行なら、わかるけれど、ヨーロッパ旅行へ行ってくれって、そんな話、彼だって困惑するに決まっている。

 彼に電話を渡す。案の定、彼は面食らっていた。けれど、結局、母の強引さに負けて、なぜか私は彼と一緒に人生初の海外旅行へ行くことになったのである。

 行き先はドイツだった。すごく寒いと聞いていたが、ちょうど行ったときはそこそこ暖かい日が続いていた。

 最初のマーケットに着いたのは夕方ごろ。屋台には明かりがついていて、幻想的な風景だった。クリスマスにちなんだ飾りや、お菓子が沢山売っていた。見たことが無い物ばかりで、心が躍る。私と彼は異国の雰囲気を味わいながらホットワインを飲み、焼き立てのソーセージを挟んだホットドッグを食べた。もう、気分は最高だった。

 滞在中は色々なことがあった。ビールを頼んだら、すごく大きなジョッキで出てきて、さすがビールの国だと感心していたら、実は店員さんがオーダーを間違えてワンサイズ大きいものを持ってきてしまっていたり、お値打ちだと思って買ったチョコが、実はグラムいくらのチョコで、表示されていた値段が100グラム単位だったため、請求金額が高くて驚いたり、ドイツはジャガイモ料理ばかり出ると聞いていたのに、出されたのが一回だけだったので、屋台でジャガイモ料理が売っていないか探し回ったり。果ては、ドイツワインを探していたら、ワインを扱っているという日本人オーナーに声を掛けられ、これ幸いとお店に付いて行ったら、馬鹿高いワインを買わされそうになったり(危ないなと思った時点でお店を出ようとしたら、強面の人が出口の前に立っていて、なかなか出るに出られなかった)。

 自由な分、ちょっと危ない目にも遭ったけれど、それでも、片言の英語ながら、現地の人たちと交流できたのは刺激的で、なぜ、もっと英会話の勉強をしてこなかったのだと後悔した。 

 それから、マーケットは主にクリスマスに関するものが多々売られていたが、その中に、ちらほらと野菜や果物を売っている屋台もあった。見たことのない野菜などもあって、好奇心をそそられたけれど、残念なことに、滞在先のホテルにはキッチンがないから調理できない。泣く泣く、買うことは諦めたけれど、このことが滞在中、ずっと心に残っていた。

 五泊六日のドイツ旅行はあっという間に終わり、私は帰りの飛行機の中で彼にこう言った。

「いつか、ヨーロッパの市場に行って、色んな食材を買って料理したい」

 彼と私は子供を早くに望んでいたから、それは子供たちが巣立った後のことになるし、市場の人たちにレシピを聞いたり、出来れば交渉とかもしてみたいから英語はぺらぺらに喋れたほうがいいし、しばらく滞在したいから、お金もしっかり貯めておかないといけないし、で、なんだか、ずっとずっと先の話になりそうだけれど。

 でも、新しい世界に触れられて、またやりたいことができたのは良かったと思うから。

 もしも、英語が自由に話せたら。諸々条件付きですが、私は『ヨーロッパにしばらく滞在して、マーケット巡りをしたい』です。