悩めるママの子育て徒然日記

30代主婦 三児の母 趣味は料理、散歩、読書 旦那さんからは『悩むことが趣味』と言われている

パンを焼く

 朝、目が覚めると、遠くの方から微かにウィーンウィーンと機械の動く音がした。

 久々に聞く音だ。

 もうそろそろ、焼きの工程に入るかな。

 布団の中で、いい匂いが漂ってくるのを待つ。

 けれど、いくら待っても、匂いがしない。

 まだ、焼けてないのかな。

 気になって、様子を見に行く。

 近づくと、辺りにほんのりとパンの焼ける匂いがした。

 どうやら、焼いてはいるようだ。

 パン焼き機の前に立ち、真っ白な蓋を見て思った。

 そうか、実家のパン焼き機とは違うんだった。

 実家のパン焼き機は蓋に小窓がついていて、中が見える。

 つまり、蓋が一枚なのだ。

 けれど、このパン焼き機は蓋が二重になっている。

 その分、匂いが漏れないのだろう。

 部屋中に漂うパンの香りを嗅ぎながら、目覚められたらいいな、なんて思っていたから、ちょっと残念。

 液晶画面を見ると、焼きあがりまであと15分。

 パン焼き機の近くに椅子を寄せ、パンの焼ける匂いを嗅ぎながら目をつむる。

 

 私の母は料理を作るのが好きな人だった。

 今は年を取ったせいか、作るのを面倒くさがるけれど、和洋中、一応、なんでも作れる。

 そして、パンも時々作ってくれた。

 一番古い記憶は、ヨモギの餡ロール。

 母は甘いのがあまり得意ではなかったから、中の餡子は少しだけ。

 口に入れると、ほんのりとヨモギの香りが鼻を抜け、噛むと控えめに入った餡が生地と混ざりあい、素朴な優しい味がした。

 それから、私がよく母にねだったのが、手作りのピザ。

 パン生地をこね、綿棒で薄く延ばして、その上にピザソースをたっぷり塗る。

 具材はピーマンとミニトマトと軽く電子レンジにかけたタマネギのスライス。

 最後に、ミックスチーズをたっぷりかける。

 オーブンに入れ、チーズに軽く焦げ目がついたら出来上がり。

 もちもちとした食感の生地にたっぷり野菜をチーズの乗せたピザは、食べ応え抜群で、いくつでも食べられた。

 私が食物アレルギーになってからは、母は天然酵母のパンを作り始めた。

 レーズンやリンゴの皮、米麹などを発酵させた酵母でパンを作るのだ。

 ただ、これは作るのがなかなか難しい。

 生きている菌を使うから、気温などその時々の条件でパンの出来が変わってしまう。

 膨らまず、目が詰まった重いパンが出来たり、発酵し過ぎて酸味が強く出たパンが出来たり。

 母は試行錯誤を繰り返しながら、多分、母自身、作るのを楽しんでいた部分もあるけれど、私のために美味しいパンを作ろうとしてくれていた。

  大学進学を機に、私は実家を出た。

 その時、母がパン焼き機を持たせてくれた。

 だから、大学生の頃はよくパン焼き機でパンを焼いていた。

 初めてパン焼き機でパンを作ったとき、全く膨らまなかった。

 その後、二回ほど手順通りに作ってみたが、やっぱり膨らまない。

 おかしい、おかしい、と思っていたら、ある日、気づいた。

 イーストだと思って入れていたものが、ベーキングパウダーだった。

 なんでこんな初歩的なミスをしたのか分からないけれど、その後は順調に焼けるようになった。

 前日の夜にパン焼き機をセットした朝は、いつもパンのいい匂いで目が覚めた。

 パン焼き機の蓋についている小窓から中を覗くと、淡く茶色に色づいたパンの表面が目に入る。

 今日も、おいしそうに焼けている。

 なんとも、至福のひとときであった。

 

 結婚して、子供が生まれたら、いつか一緒にパンを作りたいと思っていた。

 けれど、実際は、子育てに忙しくて、なかなか実現できなかった。

 今回、大型連休に入って、子供ちゃん達が騒ぎ始めた。

「遊園地へ行きたい」

「イルカさんと一緒に遊びたい」

 一応、コロナワクチンの接種は受けた。

 けれど、やっぱり、外出は怖い。

「ごめん。お腹に赤ちゃんいるから、我慢してくれるかな」

 コロナ禍になってから、ここ数年、ずっと出かけられていなかった。

 それでも、子供ちゃん達は、分かったと納得してくれた。

 そんな子供ちゃん達に、なにか少しでもいい思い出を作ってあげたいと思った。

 そんな時、ちょうど、子供ちゃん達が「パンを作りたい」と言っていたのを思い出した。

 そして、今回、作ってみることにしたのだ。

 パン焼き機は親族の人から借りた。

 初めはパン焼き機に全行程をお任せして、出来立てのパンを味わってもらう。

 そして、二回目はパン焼き機に生地まで作ってもらって、成形からは子供ちゃん達とやってみようと考えた。

 そして、初回。

 材料は旦那さんが買ってきてくれた。

 なんと、『生食パンのもと』というのが売られていたらしい。

 これと、イーストと水を入れるだけ。

 旦那さんが興奮気味に話す。

 私は、こんなものがあるんだと感心しつつ、袋の裏に表示されている原材料をざっと見る。

「まあ、お砂糖がたっぷり入っていること」

 呟いて、はっとする。

 なんとも、可愛げのない妻だ。

 旦那さんがしょんぼりした顔で、「きっと、美味しい生食パンができると思うんだよな」と言う。

 本当に、ごめん。

 慌てて、「ありがとう」とお礼を言う。

 早速、パン焼き機に材料を入れる。

 生食パンのもとだけでは足りなかったので、強力粉を少し入れた。

 あとは、タイマーをセットして、明日の朝に焼けるようにした。

 

 そして、現在に至る。

 子供達は寝室でぐっすり寝ている。

 一向に起きる気配がしない。

 私はうつらうつらとしながら、椅子に座ってパンが、焼けるのを待つ。

 ピロリロリン。パンが焼きあがりました。

 パン焼き機からアナウンスが流れる。

 この後、どうするんだっけ。

 説明書に慌てて目を通す。

 とりあえず、型から出して冷ますらしい。

 そっと、蓋を開けてみる。

 ひょっこりと山形に焼きあがった食パンの頭が見える。

 ああ、いいなあ。

 私は急いで寝室に行き、子供ちゃん達に声を掛ける。

「パンが焼けました。焼き立てパンが見たい人は起きてきてください!」

 子供ちゃん達が一斉に目を覚まし、パン焼き機の周りに集まる。

「ではでは、行きますよ~」

 蓋を開けると、ほんのりと湯気が上がる。

 中には、表面が軽く茶色に色づき、ふっくらと焼けた美味しそうな食パンが鎮座している。

 わあー。子供ちゃん達から歓声が上がる。

「なんか、よだれ出てきちゃった」と、上の子ちゃんが言い、「早く食べたい」と、下の子ちゃんが騒ぎ出す。

「よし、じゃあ、ちぎって食べちゃおう」

 焼き立てパンは柔らかいから、包丁では切りにくい。

 でも、冷めるまで待っているのはもったいない。

 早速、型から取り出して、ザルの上にあけた。

「では、どうぞ」

 アツアツのちぎったパンを渡す。

 子供ちゃん達は息をフーフーと吹きかけながら、パンを頬張る。

「美味しい!」

「美味しい!」

 子供ちゃん達の笑顔を見ていると、見ているこちらも嬉しくなってくる。

「じゃあ、まずは服を着替えておいで。そしたら、パンを食べよう」

 子供ちゃん達が服を着替えに走っていく。

 どうやら、初回は成功したようだ。

 良かった、と、一安心。

 今度は子供ちゃん達と、パンの成形にチャレンジだ。

 

 母とは色々あったけれど、決して辛い記憶だけ残っているわけじゃない。

 愛された記憶も幸せだった記憶もしっかりと刻みこまれている。

 そういう記憶は、子供ちゃん達にも受け継いでいきたいな、と思っているから。

 私のパンの記憶は、幸せな記憶が詰まったもの。

 子供ちゃん達にもちゃんと伝えられるといいな。

 そんなことを思いながら、小さくちぎった熱々の食パンを口の中に放り込んだ。