青虫
私は虫が苦手だ。
子供の頃は、まだ大丈夫だったように思う。
ダンゴムシを片手に一杯に握りしめていたこともあるし、木に止まっているセミを素手で捕まえたこともあったし、カブトムシを飼っていたこともある。
今思えば、よくそんなことできたな、と自分のことながら感心する。
多分、大きくなるにつれて、段々、虫と接する機会が少なくなったから、こうなってしまったのだろう。
旦那さんと結婚してから、虫と接する機会が増えた。
旦那さんの実家には畑があって、おかあさんが畑で育てた野菜をくれる。
野菜にはあまり農薬を使っていないから、当然、虫さんたちも付いてくる。
それだけ、安全な野菜という事は頭では分かっている。
けれど、いざ、ひょっこり出てこられると、まあ、心臓に悪い。
自然に口から叫び声が出てくる。
「朝から何事か」と旦那さんが飛び起きてくる。
半泣きになりながら、慌てて「ごめん」と謝る。
虫さんだって、鳥に食べられないように必死に隠れているのだ。
向こうだって、急に見つかってパニックになっているはず。
でも、そんなことを慮るほどの余裕が、残念ながら私には、ない。
それでも、日々接していくうちに、三匹までは何とか無視することができるようになった。
ただ、四匹目からは、ごめんなさい。
心が折れてしまう。
去年の今頃のことだ。
旦那さんの実家へ遊びに行っていた上の子ちゃんが、帰ってくるなり興奮気味に私に報告してくれた。
「ママ。ばあちゃんに、青虫が蝶になるの見たいって言ったら、虫かごに青虫を四匹捕まえてくれたの」
「そう。それは、良かったねえ」
上の子ちゃんはどちらかと言うと、虫が苦手な子だった。けれど、畑に行くようになって、段々興味がわいてきたらしい。
色んな事に興味を持つことは良いことだ。
また、一つ成長してきたんだと喜んで聞いていたのだけれど。
ふと、あることに気付いた。
待って。その虫かご、今、どこにあるの?
なんだか、恐ろしくて、聞けない。
ドキドキしながら、玄関を覗く。
何も置いてない。
まさか、外に出たらポンって置いてあるんじゃないよね・・・。
ちょうどその時、タイミングよく旦那さんが玄関に入ってきた。
「ねえねえ。青虫さんの虫かごって、まさか持ち帰ってきてないよね」
ちょっと圧をかけながら、旦那さんに尋ねる。
当然でしょ、と旦那さんが言う。
「そんなの持って帰ってきたら、あなた、発狂しちゃうじゃない」
ごもっともすぎて、返す言葉が見当たらない。
「それに、実家の方が新鮮な野菜をあげられるし、ね」
心の底から安堵する。
本当に、理解ある旦那さんで良かった。
その後、虫かごの青虫さんは順調に成長し、蝶になった。
なかなか上の子ちゃんの行く日と青虫さんが蝶になった日が合わなくて、何匹かの蝶は旦那さんが実家へ寄ったときに外へ逃がしてくれたようだけれど、ちょうど日程があった日は、上の子ちゃんが放してあげたようだった。
そして、一年後のほんの数日前。
「ママ、今日、十一匹も青虫捕まえたの」
旦那さんの実家から帰ってくるなり、上の子ちゃんが嬉しそうに報告してくれる。
私は、『あれ?この会話、去年もしたぞ』、と、思いながら身構える。
「その青虫さん、もちろん、ばあちゃんちにいるんだよね?」
念の為、確認する。
「そうだよ。だって、ばあちゃんちには新鮮なお野菜があるから」
旦那さんが、そう言い聞かせてくれているのだろう。
「今回も、ばあちゃんに捕まえてもらったの?」
「違うよ。私と下の子ちゃんで捕まえたの。指で、そっと摘まんだら、くにゅってした」
去年はおかあさんに取ってもらっていたのに・・・。
たった一年で子供ちゃん達は劇的な進化を遂げていた。
「そう。すごいね・・・」
指で摘まむ、か。
私には、到底出来そうもない。
「また、無事、ちょうちょになるといいね」
「うん」
ちなみに、青虫は蛹になっている間、蛹の中ではからだの大部分が溶けて、今度は蝶の形へとからだを作り変えているらしい。
上の子ちゃんが青虫に興味を持つまで、蛹の中身なんて想像したこともなかったけれど、こうやって調べてみると、虫の世界も面白いなあ、と思う。
ただ、実物を見るのはやっぱり辛い。
数日後、旦那さんの実家に行った。
椅子に座ってくつろいでいたら、旦那さんのおかあさんが、「あら、出てきちゃってる」と言った。
すると、下の子ちゃんが「なに?なに?」と、おかあさんの傍に駆け寄って行く。
そして、何かを見つけると、手で摘まんだ。
「ママ、見て!青虫さん」
私の方へ走ってくる。
私に逃げる隙は無い。
「あっ」
ぽとり。
私の目の前に、青虫さんが落ちる。
私はそっと目線を外し、あらぬ方向を見つめる。
「青虫さん、早く虫かごに入れてあげようか」
顔に笑みを張り付けたまま、私は下の子ちゃんに青虫さんを虫かごに戻すよう促す。
下の子ちゃんは「分かった」と言って、青虫さんを掌に載せると虫かごの置いてある所へ行った。
下の子ちゃんが青虫さんを虫かごに戻す。
「どこから、出てきちゃったんだろうね」
虫かごの周りに、子供ちゃん達と旦那さんとおかあさんが集まる。
「あれ?これ、もう蛹かな」
「こっちにもあるよ」
「この子も壁にくっついているから、もうすぐ蛹になるんじゃない」
「今年はいっぱい捕まえたから、たくさんの蝶々さんが見られるねえ」
私の天敵はもはや、子供ちゃん達の可愛いペットと化していた。
皆、青虫さんを見ながら、わいわい楽しそうに話している。
私はその光景を眺めながら、ふと、来年は、「家で飼いたい」なんて言いだしたら、どうしよう、と思った。
もちろん、子供ちゃん達が生き物の生態を学ぶという面では、とってもいい機会だとは思うから、叶えてあげたい気持ちはあるけれど。
私の精神衛生上、出来れば避けたいことでありまして・・・。
さてさて、どうしたものか、と、一年後のことを想像し、ひとり頭を悩ませるのであった。