潮干狩り
私にとって、潮干狩りといえば、海ではなく川でシジミを採ることだ。
祖父の家の近くには、大きな川があって、そこではよくシジミが採れた。
祖父はシジミ汁が大好きだったから、子供の頃はよく一緒に川へ行き、バケツ一杯シジミを採ったものだった。
ただ、段々とシジミが高値で取引されるようになってきて、業者さんたちが船で根こそぎ採るようになってから、昔のようには採れなくなってしまった。
でも、まあ、祖父母と三人でシジミ汁を飲むくらいは十分に採れた。
大人になってからは、シジミを採りに行くことはなかった。
最近、子供ちゃん達が貝に興味を持つようになって、潮干狩りのことを思い出した。
きっかけは、旦那さんのおかあさんが作ってくれた八宝菜だった。
その中に、浅利が入っていたのだ。
「これは、何?」
よくよく考えてみると、うちでは、貝を調理したことがなかった。
私が少し苦手だからだ。
上手く砂抜き出来ていないと、噛んだ瞬間にジャリっと音がして口の中に砂の粒が広がってくるから、毎回、舌で砂が入っていないか探りながら食べるのが面倒なのと、砂抜きするために塩水につけている間、貝殻の隙間から、ぴょこんと水管を突き出して、水をピュッと出すあの仕草がなんとも愛くるしくて、調理するのにとてもとても気力がいる。
だから、食卓に出したことは今までなかったのだけれど、せっかく子供ちゃん達が興味を持ったようだし、ちょうど祖母の家へ行く機会があったので、ついでに川へ行ってみることにしたのだった。
一応、潮干狩りということで、公園の砂場へ遊びに行くときに持っていくバケツやら熊手やらを準備し、車に積んで祖母の家へと向かった。
祖母の家に着き、一緒に昼食をとった後、早速、例の川へと向かった。
子供ちゃん達も私も泥だらけになることを念頭にいれ、長靴を履いていく。
外は雲一つなく、お日様がしっかりと出ていて、夏を感じさせるような暑さだった。
少し歩くと、川がある。
堤防の下を覗くと、すでに先客が何人かいた。
これは、採れそうだな。
ちょっと期待しつつ、子供ちゃん達と一緒にゆっくりと堤防を降りた。
「わー」
目の前を流れる大きな川に、子供ちゃん達は大はしゃぎ。
ちょうどいい具合に潮も引いている。
早速、浅瀬に近づこうと歩いていたら、先に堤防下にいた人がこちらに近づいてきた。
「潮干狩りに来たのかい?」
なにか不味いことでもあったかな。
ちょっと不安になりながら、はい、と返事をすると、「今年は採れんよ」と言われた。
どうやら、砂浜の全面を粘土質の土が覆っていて、掘っても掘っても貝が出てこないらしい。
えっ。
慌てて、辺りを見まわしてみる。
確かに、砂というより泥だ。
しかも、無数に足跡がついている。
きっと、ここに訪れた人たちがシジミを探し回った跡なのだろう。
せっかく、子供ちゃん達に貝を見せてあげたかったのに、残念でならない。
がっくりと肩を落としていると、「ちっちゃいけれど、良かったらあげるよ」と子供たちちゃん達に小さなシジミをいくつか分けてくれた。
子供ちゃん達は大喜びである。
それから、しばらく砂浜ならぬ泥浜?で遊ぶことにした。
というのも、子供ちゃん達は私よりよっぽど切り替え上手で、泥浜に打ち上げられているシジミの貝殻を「貝だ!貝だ!」と言いながら集め始めたのだ。
さらに、熊手で泥浜を掘って、湖や川を作るといった泥遊びをする。
そして、いつのまにか、泥だらけになっていらっしゃる。
まあ、そうなるよね・・・。
一応、替えの服は持っているから大丈夫ではあるだけれど。
本当に、転んでもただでは起きない逞しい子に育ってくれたな、と思う。
帰り道、暑さのせいか、疲れが出てきてしまった。
歩いても歩いても、なかなか前へ進まないのだ。
お腹が大きくなってきて、重くなってきたせいもある。
旦那さんが最近、私の膨らんできたお腹を見て、「大きくなってきたなあ」と呟いた。
私自身、自分のお腹を見て、随分大きくなったと思う。
ただ、以前のことはもう覚えていないから、「これって、もっと大きくなるんだっけ」と聞いたら、「そうだったと思う」と言われた。
さらに、「歩き方が徐々に、ペンギンみたいになってくる」、とも。
そうだ!よちよち歩きになるんだった。
旦那さんに言われて思い出す。
祖母の家へ向かいながら、だいぶ、歩き方がペンギンに似てきたな、と思う。
そして、あと数か月たったら、もう、立派なペンギンだ。
祖母の家に着くと、仏間に行き、子供ちゃん達のお着替えをした。
その後、ごろりとそのまま仏間で横になる。
畳がひんやりとしていて、心地よい。
久しぶりの祖父母の家。
なんだか急に、力が抜ける。
そのうち、うつらうつらしてきて、知らぬ間に眠ってしまった。
子供ちゃん達のはしゃぐ声で目が覚める。
顔を上げると、仏間に飾ってある祖父の写真と目が合う。
その写真はなんとなく、私の知っている祖父の顔ではない気がして、ちょっと苦手意識があったけれど、少し遠くから眺めている限りでは、祖父のように見えなくもなくて、心の中で話しかけてみる。
『今日、子供ちゃん達と久しぶりに川へシジミ採りに行ったんだけれど、砂浜が泥で埋まってて、全く採れなかったよ』
『そうかね。それは残念だったな』
祖父が話しかけてくるような気がする。
『本当だよ。採れたら、じいちゃんにシジミ汁をお供えしようと思ってたのにな』
まあ、採れないものはしょうがない。
子供ちゃん達を連れて、また、来年も行ってみようかな。
なんだか、傍で祖父が笑っているような気がしてしまう。
ぼんやりと見慣れた天井を見つめる。
できれば、もう少し、祖父に生きていて欲しかったな、と思う。
残念ながら、子供ちゃん達には祖父の記憶がほとんどない。
上の子ちゃんが、祖父の葬儀のことをうっすらと覚えているくらい。
今ならば、しっかりと覚えていてくれるだろうに。
そう思うと、切なくなる。
祖父は晩年、よく、口にしていた言葉がある。
「じいちゃんの人生は、何一つ言う事のない良い人生だった」
なんとも、羨ましい言葉である。
まあ、見るまでは死んでも死に切れんと言っていた、念願の孫の結婚式も見られて、ほっとしたのもあると思う。
だから、まさか、ひ孫まで見られるとは、祖父自身はゆめにも思っていなかったのかもしれない。
上の子ちゃんが生まれた時、祖父は上の子ちゃんに会うために、二回も、実家へ足を運んできてくれた。
普段は滅多に外出しない人なのに、よほど、嬉しかったのだと思う。
上の子ちゃんのすやすやと眠る顔を上機嫌に眺めながら、「本当に、奇麗な顔をしているなあ」なんて、親ばかならぬ、というところだ。
もう少し、と言ったって、結局、いつまでなのか、キリはないわけで。
悲しいけれど、その時までというのが、寿命なのだ。
分かってはいるけれど、できれば、もう一人生まれるよって伝えられればいいのに、なんて子供じみたことを思ってしまう。
どうやら、私はいつまでたっても、祖父離れできそうにない。
帰りの道が混むといけないから、と、夕方早めに祖母の家を出ることにした。
まだ、外は明るいから、子供ちゃん達は帰ることに納得がいかなくて、ぶつぶつ文句を言っている。
「帰る前に、おじいちゃんにご挨拶していって」と祖母が言い、子供ちゃん達は仏壇に手を合わせ、「また来るね」と別れの挨拶をした。
私も続いて、仏壇に手を合わせる。
次に顔を出せるのは、夏休みかな、と思う。
コロナ禍になってから、祖母の家へ行くのは長期の連休に入ってしばらくしてからと決めている。
子供ちゃん達は小学校や幼稚園へ行っているから、そこで感染してしまう可能性が十分にある。菌の潜伏期間のことを考えて、なるべく日を空けて行きたいと思うと、普通の日の休日にはなかなか行くことができないのだ。
そして、その次の次はきっと、もう一人、連れてこられるはずだ。
『それまでの間、子供ちゃん達三人のこと、守ってくださいね』
祖父にしっかりとお願いして、仏壇をあとにした。