悩めるママの子育て徒然日記

30代主婦 三児の母 趣味は料理、散歩、読書 旦那さんからは『悩むことが趣味』と言われている

命と向き合う

   子供ちゃん達とお夕飯を食べていた時、気まぐれにテレビをつけた。

   ちょうど、画面には焼き立ての美味しそうなソーセージが映されていて、子供ちゃん達が「ママ、これ食べたい」と声を上げる。

「そうだね。美味しそうだね」などと返すと、上の子ちゃんが「ねえ、ママ」と私に話しかけてくる。

「ソーセージって豚さんから作るんだよね。それは、豚さんを殺しちゃうってこと」

  上の子ちゃんの質問に、ギクリとする。

  私はこの手の話は苦手だ。

  しかも、不意打ち。

  なるべく平静な顔を装って、「そ、そうだね」と答えると、すかざず、「可哀想だね」と返ってくる。

  思わず、「うん。だから、ママ、子供の頃、お肉食べたくないって悩んじゃったことあったよ」と口が滑った。

  そして、内心、『どうしよう』と焦る。

  ここから、どう会話を持っていけばいいのかが、思いつかない。

  急いで、子供の頃、『可哀想』と思ってから、どう考えてまた、お肉を食べようという気になったのかを必死に思い出す。

  けれど、こういう時に限って、なかなか思い出せないものだ。

  すると、上の子ちゃんは落ち着いた口調で、「ママも、そんなことがあったんだねえ」と言った。

  そして、「確かに、殺しちゃうのは可哀想だけれど、だから、食べる時はいつも『栄養になってくれてありがとう』って思うことにしてるよ」と続けた。

  上の子ちゃんの言葉に助けられる。

  そして、心の中で、『命を頂くということのありがたさ』と反芻する。

  決して、忘れていたわけではない。

  多分、それが、『可哀想』という言葉に対して、最良な答えではないかと思っている。

  だけれど、すぐ答えられなかったのは、私自身はまだ、その答えでは消化しきれていないからだ。

  私は、命を奪って食べていることに、なにかしらの後ろめたさみたいなものを持っている。

  上の子ちゃんがいうような『ありがとう』という気持ちには、まだ、たどり着けていない。

  命を頂く。

  そう意識してしまうと、途端に、食べることが辛くなる。

  だから、なるべく、目をそむけて考えないようにしている。

 

 旦那さんの実家で、子供ちゃん達が虫取りを楽しんだ日。

  上の子ちゃんが泣きそうな顔で私の所へやって来た。

「オレンジ色の大きな蝶々を捕まえたの。でも、捕まえた時、羽を少し傷つけちゃった。あの蝶々、どうなるの?」

   飛べなくなった蝶々は多分、早々に死んでしまうだろう。

   蝶々は飛べるからこそ、敵から逃げることができる。

   それができないなら、厳しい自然界を生き残ってくことは難しい。

   そう思ったら、途端に気が重くなってしまった。

「そうだねえ。生きていくのは難しいかもしれない。だから、これから虫を捕まえる時は、傷つけないようにしようね」

  そう答えるのが、精一杯だった。

  上の子ちゃんは優しい子だから、これからはより、虫の扱いに気を付けるだろう。

  でも、虫一匹の命と引き換えにそのことを学んだのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。

 

   朝、下の子ちゃんを幼稚園バスに乗せるために、バス停へ向かっていた時のこと。

   下の子ちゃんが、コンクリートの壁にくっついている青虫を見つけた。

「ママ、青虫さんがいる!」

   下の子ちゃんは躊躇うことなく、青虫を摘まもうとし、私は下の子ちゃんの伸ばした手を反射的に掴んだ。

「やめておこう」

   深い理由はない。

   私が怖かっただけだ。

   数日後、見つけた場所から少し離れたところで、青虫は死んでいた。

   下の子ちゃんが見つけたのだ。

   下の子ちゃんが私に問う。

「ママ、どうして青虫さんは死んじゃったの」

「青虫さんの食べる物がなかったからかな」

   周りはコンクリートで固められ、草一本生えていないところだった。

   しかも、この数日間、ずっと暑い日が続いていた。

「そっか」

 下の子ちゃんがしょんぼりとする。

   ふと、青虫を見つけたあの時、下の子ちゃんの摘まもうとした手を止めず、近くの草原においてあげようと提案すれば良かったのかな、と思う。

  そうしたら、まだ、生きていたかもしれない。

  そう思ったら、私もしょげてしまった。

 

   最近、『命』に思いを馳せる機会が増えたように思う。

 多分、子供ちゃん達が敏感に『命』に反応しているからだ。

 そして、容赦なく私に尋ねてくる。

   どうして、と。

   その度に、私は戸惑い、逃げ出したくなる。

 私は『命』と向き合うことが苦手だ。

 考えれば考えるほどに、気持ちが沈んでいく。

 

 旦那さんにそうボヤいたら、「答えが分からないものは分からないで良いんじゃない。子供と一緒に考えれば」と言われた。

   確かにそうだ、思う。

   じゃあ、考えたくない質問は…。

 できれば、避けて通りたい。

 でも、子供ちゃん達にも、タイミングというものがある気がするのだ。

   ちょうど、今、子供ちゃん達は生き物に興味を持っていて、『命』っていうものを少なからず、意識し始めている。

   せっかく向き始めたその意識を、逸らしてしまうのはいけない気がする。

「ああ、辛いな」

   心内が漏れる。

   子供ちゃん達の問いにはきちんと答えてあげたい。

   でも、答える度に、胸がずしんと重くなる。

   せめて、それから、逃れる術が見つかればいいのに、と思う。

「本当に、あなたは悩むのが趣味だねえ」

   旦那さんが笑う。

「好きで悩んでいるわけじゃ、ないんだけれどねえ」

   私はむっとしながら返す。

   まさか、この年でまた、向き合うことになるなんて、思いもしなかったから。

   そこから抜け出せそうもない私の苦悩は、まだまだ続く。

 

   正直、拙い私の言葉が子供ちゃん達の心に届いているかは分からないし、子供ちゃん達が今、どう感じているかもわからない。

   ただ、せっかくの機会だ。

    ほんの少しでもいい。

    子供ちゃん達なりの向き合い方を見つけてもらえたらいいな、と思う。