命と向き合う
子供ちゃん達とお夕飯を食べていた時、気まぐれにテレビをつけた。
ちょうど、画面には焼き立ての美味しそうなソーセージが映されていて、子供ちゃん達が「ママ、これ食べたい」と声を上げる。
「そうだね。美味しそうだね」などと返すと、上の子ちゃんが「ねえ、ママ」と私に話しかけてくる。
「ソーセージって豚さんから作るんだよね。それは、豚さんを殺しちゃうってこと」
上の子ちゃんの質問に、ギクリとする。
私はこの手の話は苦手だ。
しかも、不意打ち。
なるべく平静な顔を装って、「そ、そうだね」と答えると、すかざず、「可哀想だね」と返ってくる。
思わず、「うん。だから、ママ、子供の頃、お肉食べたくないって悩んじゃったことあったよ」と口が滑った。
そして、内心、『どうしよう』と焦る。
ここから、どう会話を持っていけばいいのかが、思いつかない。
急いで、子供の頃、『可哀想』と思ってから、どう考えてまた、お肉を食べようという気になったのかを必死に思い出す。
けれど、こういう時に限って、なかなか思い出せないものだ。
すると、上の子ちゃんは落ち着いた口調で、「ママも、そんなことがあったんだねえ」と言った。
そして、「確かに、殺しちゃうのは可哀想だけれど、だから、食べる時はいつも『栄養になってくれてありがとう』って思うことにしてるよ」と続けた。
上の子ちゃんの言葉に助けられる。
そして、心の中で、『命を頂くということのありがたさ』と反芻する。
決して、忘れていたわけではない。
多分、それが、『可哀想』という言葉に対して、最良な答えではないかと思っている。
だけれど、すぐ答えられなかったのは、私自身はまだ、その答えでは消化しきれていないからだ。
私は、命を奪って食べていることに、なにかしらの後ろめたさみたいなものを持っている。
上の子ちゃんがいうような『ありがとう』という気持ちには、まだ、たどり着けていない。
命を頂く。
そう意識してしまうと、途端に、食べることが辛くなる。
だから、なるべく、目をそむけて考えないようにしている。
旦那さんの実家で、子供ちゃん達が虫取りを楽しんだ日。
上の子ちゃんが泣きそうな顔で私の所へやって来た。
「オレンジ色の大きな蝶々を捕まえたの。でも、捕まえた時、羽を少し傷つけちゃった。あの蝶々、どうなるの?」
飛べなくなった蝶々は多分、早々に死んでしまうだろう。
蝶々は飛べるからこそ、敵から逃げることができる。
それができないなら、厳しい自然界を生き残ってくことは難しい。
そう思ったら、途端に気が重くなってしまった。
「そうだねえ。生きていくのは難しいかもしれない。だから、これから虫を捕まえる時は、傷つけないようにしようね」
そう答えるのが、精一杯だった。
上の子ちゃんは優しい子だから、これからはより、虫の扱いに気を付けるだろう。
でも、虫一匹の命と引き換えにそのことを学んだのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。
朝、下の子ちゃんを幼稚園バスに乗せるために、バス停へ向かっていた時のこと。
下の子ちゃんが、コンクリートの壁にくっついている青虫を見つけた。
「ママ、青虫さんがいる!」
下の子ちゃんは躊躇うことなく、青虫を摘まもうとし、私は下の子ちゃんの伸ばした手を反射的に掴んだ。
「やめておこう」
深い理由はない。
私が怖かっただけだ。
数日後、見つけた場所から少し離れたところで、青虫は死んでいた。
下の子ちゃんが見つけたのだ。
下の子ちゃんが私に問う。
「ママ、どうして青虫さんは死んじゃったの」
「青虫さんの食べる物がなかったからかな」
周りはコンクリートで固められ、草一本生えていないところだった。
しかも、この数日間、ずっと暑い日が続いていた。
「そっか」
下の子ちゃんがしょんぼりとする。
ふと、青虫を見つけたあの時、下の子ちゃんの摘まもうとした手を止めず、近くの草原においてあげようと提案すれば良かったのかな、と思う。
そうしたら、まだ、生きていたかもしれない。
そう思ったら、私もしょげてしまった。
最近、『命』に思いを馳せる機会が増えたように思う。
多分、子供ちゃん達が敏感に『命』に反応しているからだ。
そして、容赦なく私に尋ねてくる。
どうして、と。
その度に、私は戸惑い、逃げ出したくなる。
私は『命』と向き合うことが苦手だ。
考えれば考えるほどに、気持ちが沈んでいく。
旦那さんにそうボヤいたら、「答えが分からないものは分からないで良いんじゃない。子供と一緒に考えれば」と言われた。
確かにそうだ、思う。
じゃあ、考えたくない質問は…。
できれば、避けて通りたい。
でも、子供ちゃん達にも、タイミングというものがある気がするのだ。
ちょうど、今、子供ちゃん達は生き物に興味を持っていて、『命』っていうものを少なからず、意識し始めている。
せっかく向き始めたその意識を、逸らしてしまうのはいけない気がする。
「ああ、辛いな」
心内が漏れる。
子供ちゃん達の問いにはきちんと答えてあげたい。
でも、答える度に、胸がずしんと重くなる。
せめて、それから、逃れる術が見つかればいいのに、と思う。
「本当に、あなたは悩むのが趣味だねえ」
旦那さんが笑う。
「好きで悩んでいるわけじゃ、ないんだけれどねえ」
私はむっとしながら返す。
まさか、この年でまた、向き合うことになるなんて、思いもしなかったから。
そこから抜け出せそうもない私の苦悩は、まだまだ続く。
正直、拙い私の言葉が子供ちゃん達の心に届いているかは分からないし、子供ちゃん達が今、どう感じているかもわからない。
ただ、せっかくの機会だ。
ほんの少しでもいい。
子供ちゃん達なりの向き合い方を見つけてもらえたらいいな、と思う。