子宮外妊娠
※ 随分昔のことなので、多少、うろ覚えの箇所があります。ご理解いただければ、
幸いです。
私の両親は不妊治療の末、私を授かった。
双方に原因があったらしい。
旦那さんと結婚する前に、そう母から告げられた。
「もしかしたら、あなたも子供ができにくい体質なのかもしれない。もし、そうであっても、自分をあまり追い詰めないでね」
そういう経緯があって、私は早くから子供を作りたいと思っていた。
結婚して、一か月ちょっとたった頃から、私は体調がおかしくなった。
身体のあちこちの筋肉が強張って、だるかったり、痛かったりする。
そのうち治るだろうと放置していたら、段々痛みが増してきて、ついには寝込むようになった。
旦那さんは、仕事から帰って来ると、マッサージをしてくれるようになった。
そうすると、だいぶ身体が楽になった。
ある晩のこと。
夜中に目が覚めた。
いつものように、身体のあちらこちらが痛い。
ただ、その日はそれだけではなくて、片方の脇腹も痛んだ。
『ちょっと、危ない気がする』
隣で寝ていた旦那さんを起こした。
起きて早々、マッサージをしてくれようとする旦那さんを止める。
「なんか、今日はお腹も痛むんだ・・・」
その一言で、旦那さんは察してくれた。
「今から、病院へ行こうか」
私は頷いた。
旦那さんに運転してもらって、救急病院へ行った。
長く続く薄暗い廊下を通って、受付を目指す。
受付で症状を簡単に説明する。
「身体のあちこちが痛い。さらに、片側の脇腹も痛む」
受付の人が言う。
「内科ですか?外科ですか?」
思わず、「どっちがいいですか?」と聞き返す。
よく分からないので、外科で見てもらうことになった。
症状を説明するも、お医者さんは首を傾げる。
「腎臓ではなさそうですし・・・」
症状から、思い当たる病気がないらしい。
「一応、レントゲンを撮ってみますが、妊娠している可能性はありますか」
全く、わからない。
ただ、「可能性はあります」と答えておいた。
レントゲンを撮る前に、血液検査と妊娠しているかの検査をすることになった。
血液を採り終え、旦那さんのいる待合室に行く。
旦那さんはうつらうつらと眠っていた。
起こして、今の状況を説明する。
そして、中の待合室へ一緒に行き、私はベッドに横になる。
しばらくすると、仕切りのカーテンから、お医者さんが顔を覗かせた。
「陽性です」
えっ。
まさかのことに、驚きを隠せない。
私、お母さんになれるんだ!
身体の痛みが、嘘みたいに引いていく。
寝ぼけ眼の旦那さんが呟く。
「ヨウセイってなんですか・・・?」
ここで、旦那さんのことを一応擁護すれば、旦那さんもまさか、こんなにも早く子供が授かるは思っていなかったので、思わず発してしまった言葉らしい。
ただ、私は旦那さんの心境をその時は分かっていなかったで、付き合ってから初めて旦那さんのことを『この人、馬鹿だったんだ』と思ってしまった。
お医者さんから告げられて、喜んだのもつかの間だった。
お医者さんは続けてこう言った。
「お腹が痛いのが気になります。もしかすると、妊娠が原因で症状がでているかもしれません。ただ、本院には産婦人科が無いので、今から産婦人科のある病院へ転送します」
なんと、救急車に乗って違う病院へ行くことになってしまったのだ。
妊娠したと知った私は、気分的なものなのか、お腹の痛みもなくなってきたように思えたし、できれば大事にはしたくなかった。
なので、「後日、改めて病院へ行きます」と答えると、「緊急の可能性があるので、すぐに診てもらった方がいい」と返される。
ただ、肝心の『なんの』可能性があるのかは教えてくれない。
仕方ないので、『深夜に、沢山の方々にご迷惑をおかけしてごめんなさい』と思いながら、救急車に乗った。
旦那さんは病院まで車で来ていたため、救急車の後ろを車でついていくことになった。
産婦人科のある病院に着くと、すぐに、おそらく救急に運ばれた。
お医者さんが早速、私の服を捲り、お腹にエコーを当てる。
そして、焦った様子で「見えない、見えない」と言う。
何が見えないのか、さっぱり分からない。
ただ、お医者さんのただならぬ雰囲気から、あまりいいことでないことだけは伝わる。
一本の電話が鳴る。
「産婦人科の先生がいらっしゃるそうです」
私を診ていたお医者さんが「助かった」と漏らす。
私はそのまま、産婦人科の先生がいる所に連れていかれた。
そして、今度は、産婦人科の先生による経腟エコーを受ける。
「ないですね・・・」
また、同じことを言われる。
それから、旦那さんと一緒に、先生から説明を受ける。
妊娠している場合、子宮内に胎嚢が見つかる。
けれど、私の子宮内を見た限り、胎嚢が見つからないのだ。
その場合、子宮外妊娠の可能性がある。
子宮外妊娠は、発見が遅いと母体の命に係わる。
分かった時点で、すぐ、手術をしなければならない。
ただ、私の場合、この時、妊娠して一か月いくかいかないかくらい。
まだ、見えてないだけの可能性もある。
「なので、血液検査をして、今の段階で、子宮外妊娠をしているかどうかを調べます」
お医者さんは分かりやすく説明してくれる。
「すみません。もし、子宮外妊娠をしていたら、どんな手術をするんですか」
「まだ、分かりませんが、卵管をとります」
「卵管をとったら、今後、妊娠する可能性が減りますよね」
「・・・そうですね」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
そもそも、普通に妊娠することだって、簡単にできることじゃない。
その可能性を、今から子供を作ろうとしているこの段階で、減らすことになるとは・・・。
「せめて、詰まっている受精卵を子宮に戻すことはできませんか」
「うちではやっていません」
再び、奈落の底に突き落とされたような気分に陥る。
せっかく授かったのに、産んであげられないかもしれない。
申し訳ない気持ちで、いっぱいになる。
その後、血液検査の結果を待ちながら、私はベッドの上でひたすら泣きつづけた。
旦那さんに検査結果を待たなくていいから、早く家に帰ろうと何度も言った。
卵管で妊娠しているとしても、少し大きくなったら取り出して、子宮に戻せばいいとか。
滅茶苦茶なことを口走った。
妊娠している。
そう分かった時点で、私はすでに母親になっていた。
お願いだから、私の子供を取らないで!
もう、その一心だった。
泣き続ける私の横で、旦那さんは、結果次第では私が受けるであろう手術の書類にサインしていた。
私が「絶対にサインなんかしない」と断固拒否したからだ。
分厚い紙束一枚一枚に目を通しながら、サインしつつ、なおかつ、私をなだめなければならない旦那さんの気苦労はいかほどだったろうか。
本当に、気の毒だったと思う。
血液検査の結果が出た。
まだ、今の段階ではわからない、というものだった。
一旦、家に帰り、また後日、改めて検査することになった。
ただ、お腹が痛かった場合はすぐに病院へ来るよう言われた。
病院を出たら、夜が明けていた。
心も身体もすっかり疲れ切っていた。
「帰ったら、寝ようか」
そんなことを言い合いながら、車へと戻った。
家に帰ってから、再検査を受けるまでの間、心の内は複雑だった。
妊娠したかもしれないという嬉しい気持ちもあったけれど、もし、子宮外だったらどうしよう、という気持ちもあった。
万一に備えて、入院の準備もした。
何度も、何度も、『どうか、子宮内にいて』と願った。
ある朝、夢から目覚めようとした時、どこからか声が聞こえた。
『もう、大丈夫』
誰とも分からないその声は温かくて、なぜだか、涙がぽろりとこぼれ落ちた。
『あの声は、なんだったのだろう』
目が覚めてから、ずっと考え続けた。
ただ寝ぼけていただけのことかもしれないのに、なぜだか気になった。
掃除をしている時に、ふと、自分のペタンコのお腹が目に入った。
まさかね、と思う。
でも、そうだったらいいなあ。
そんなことを思いながら、お腹をそっと撫でた。
再検査の日が来た。
旦那さんはどうしても外せない仕事があって、代わりに母が付き添うことになった。
母とは病院で待ち合わせた。
私は、トランクを片手に病院へ向かった。
病院に着く。
総合病院だから、とにかく広い。
前に来た時は、運んでもらえたからよかったけれど、自分で行くとなるとどこへ行けばよいのか、さっぱり分からない。
案内図を頼りに進んでみるが、何度も途中で迷う。
ようやく、産婦人科近くにたどり着いた頃には、すっかり母との待ち合わせ時刻に遅れていた。
産婦人科の受付で、母が受付の人と揉めていた。
慌てて、近くに駆け寄る。
母が何度も受付の人に、私の名前を言っている。
受付の人は、名簿らしきものを何度も捲っている。
でも・・・。
母の肩を後ろから叩く。
母が振り向き、「遅い!」と言う。
「どこかで倒れてたらどうしようと思って、気が気じゃなかったわ」
ごめん、と謝る。
それから、「私、結婚したから、苗字変わってるわよ」と付け加える。
母がはっとした顔になる。
「焦ってたから、すっかり忘れてたわ」
そう。母は受付の人に、私の旧姓の名前を伝えていたのだ。
見つかるはずがない。
順番が来るまで、しばらく待つ。
この結果次第では、天国にも地獄にもなる。
怖くて仕方なかった。
名前が呼ばれ、診察室に入る。
前に診てもらった時と同じ先生だった。
早速、経腟エコーをしてもらう。
白黒の画面に子宮内の様子が映し出される。
画面の真ん中に、小さな楕円形のようなものがある。
これは・・・?
「おめでとうございます。子宮内に胎嚢があります」
先生の言葉に、じわりと涙が浮かんでくる。
『良かった。ちゃんといてくれた』
後ろで、大きな泣き声がした。
振り向くと、母が大粒の涙をぽろぽろと流していた。
『ああ。また、派手に泣いている』
そう思ったら、なんだか笑えてきて、涙はすっかり引っ込んでしまった。
診察が終わった後、私はすぐに旦那さんと、旦那さんのおかあさんに電話した。
ふたりとも喜んでくれた。
私と母は病院を出たところで別れた。
母と別れた私は、持ってきたトランクをまた引っ張りながら、家に引き返した。
その日はちょうど、気持ちのいいほどの晴天だった。
『私は一生、この日をわすれないだろう』と思った。
絶対に、失いたくないと思った命だった。
そして、ちゃんと、私のところに来てくれた。
本当に、感謝してもしきれない。
上の子ちゃんを産んだ時のことも、勿論、覚えている。
でも、この日のことが一番、私は心に残っている。
きっと、これから、反抗期やら、いろいろとあるだろう。
それでも、この時の気持ちだけは、ずっと忘れないでおきたいな、と思っている。