奇襲
それは、突然やってくる。
朝、掃除機をかけていたら、私の数歩先にぽとりと何かが落ちてきた。
思わず、後ずさる。
目の前に落ちてきたそれは、そのまま床でばたばたとうごめいている。
目を凝らして見てみると、蛾だった。
しかも、そこそこ大きい。
何故、よりによって目の前に落ちてきたのだろう。
というより、今まで一体、どこにいたのだ?
蛾は飛び立つことなく、ばたばたと羽を動かし、そして、少しずつ動かなくなっていく。
もしかして、弱って落ちてきたのだろうか。
それにしても、これをどうするか、だ。
出来れば、近づきたくない。
幸い、家にはまだ、幼稚園のバス待ちの下の子ちゃんが居たから、お願いしてみる。
「ねえ、下の子ちゃん。このカップをあそこにいる蛾に被せてきてくれない?」
下の子ちゃんはカップを受けとると、躊躇うことなく蛾の傍に駆け寄っていった。
そんな我が子を、頼もしく思う。
下の子ちゃんは、ほんのすこしの間、蛾を眺める。
そして、あろうことか、くるりと背を向けて、こちらに戻ってきたのだ。
「下の子ちゃん、カップを置いてきてよ」
下の子ちゃんは、首を横に振る。
「ムリだよ。だって、あの蛾、生きてるもん」
私の頭の中に『?』が沢山浮かぶ。
いや、待て。あなた、生きてる青虫さん、手で摘んでますよね…。
いくらお願いしても、断固として拒否する下の子ちゃん。
このままだと埒外が明かないので、仕方なく、カップを被せに行く。
小さなことだけれど、こういう時、親って辛いなって思う。
恐る恐るカップを被せ、下から紙を差し込む。
そのまま全部を落とさないように持って、玄関まで走っていく。
もう、心臓はドキドキだ。
そして、玄関の鍵を開けると、外へポイッと投げる。
終了。
しばらくしたら、カップと紙を回収する。
幼稚園バスがくる時間になって、外に出る。
どうやら蛾は、力尽きたようだ。
下の子ちゃんが、「さっきの蛾だ」と言いながら、近づいていく。
そして、「ママ、死んでるよ」と言うと、すっと蛾に向かって手を伸ばした。
「やめてっ」
慌てて、下の子ちゃんの手を止める。
本当に、あなた、死んでるのは触れるのね…。
なんとも、複雑な心地になってしまった。
そして、ある朝のこと。
いつものように、旦那さんのお弁当を作っていた。
その日のお弁当作りも、いよいよ大詰めを迎え、最後のおかず、キンピラゴボウを作っているときだった。
フライパンでゴボウを炒めていたら、袖口に何かが付いていることに気付く。
ああ、ゴボウか。
けれど、そのゴボウの切れ端は、なにやらうごめいているのだ。
一瞬、目を疑う。
そして、それが何か気づいたときには、もう、言葉にならない叫び声をあげていたのである。
「旦那さん、助けて、助けて」
いつもより、何オクターブも高い声をあげながら、寝室へ向かう。
旦那さんが、「どうしたんだ」と、眠たげに目を擦りつつ寝室から出てくる。
「これ、これ、これ!」
旦那さんの眼前に、腕を突き出す。
旦那さんは一目それを見るなり、急いでティッシュペーパーを一枚持ってきて、それをそっと摘んだ。
「一体、何事かと思った」
旦那さんがため息をつく。
私は申し訳なくて、「ごめん」と謝る。
でも、しょうがない。
明らかに、私の許容範囲を越えていたのだから。
私の袖口に乗っていたのは、白色のスリムだけれどそこそこ大きめな芋虫さんだった。
なぜ、袖口にいたの?いつから、乗ってたの?どこから、来たの?
聞きたいことだらけだけれど、とにかく目の前から消えてくれて助かった。
その日の朝食時。
子供ちゃん達にその話をしたら、「ああ。だから、ママ、あんな声出していたのね」と、上の子ちゃんに言われた。
「えっ。でも、起きてこなかったよね」と返すと、「あんなに大きい声出されたら、起きちゃうよ」と笑われる。
まあ、そうだよね…。
でも、ママ、久しぶりに、心臓が止まりそうだったわ。
子供ちゃん達は、虫さんに興味津々だけれど。
ゴメンね。
ママは、やっぱり、虫さん、好きになれそうもないです…。