会話のキャッチボール
他人を理解しようなどというのは、傲慢な考えかもしれない。
なぜだか、そんな言葉が頭をよぎった。
親だから、子供のことがわかるようにならねば・・・。
なんて、思っていた節があったからかもしれない。
今回はなかなかに、落ち込んだ出来事だった。
上の子ちゃんは、自分から積極的に話す方ではない。
そして、尋ねても、あまり答えてくれない。
「今日は学校でなにを勉強したの?」
「休み時間はなにをして過ごしたの?」
「今日のお給食は何だった?」
答えてもらえるのは、せいぜい給食のことくらい。
それから、気が向くとお友達の話。
あとは、「忘れた」「わからない」「疲れた」のオンパレードである。
少しでも会話を増やしたくて、ニュースをつける。
すると、ニュースで読み上げられた言葉とか内容で気になったものを私に尋ねてくる。
私は、私の分かる範疇で上の子ちゃんの質問に答える。
上手くいけば、そこからいくらか会話が続くが、基本的には途切れてしまうことの方が多い。
だから、今回のことを通して改めて思い返してみると、私は圧倒的に下の子ちゃんと話すことの方が多くて、上の子ちゃんと会話をする機会はあまりなかったな、と思ったのだった。
事の発端は、上の子ちゃんに事実確認をすることになったことから始まる。
他の方々にも迷惑を掛けることであったため、私は、何度も上の子ちゃんに確認し、そこに私の見てきたことも加えてお伝えした。
それで、終わるはずだった。
けれど、伝えた後に、ふと疑問が湧いた。
そこで、上の子ちゃんに聞いてみた。
すると、全く正反対の答えが返ってきたのである。
私は混乱した。
少し異なるだけではない。
まるで正反対なのだ。
上の子ちゃんが嘘を言っている素振りもない。
いや、そもそも、今回のことで上の子ちゃんが嘘をつく意味がない。
なぜ、こうなった?
私の質問が悪かったのだろうか・・・。
上の子ちゃんと改めて話し合う。
例えば、上の子ちゃんは学校へ行く時、幾人かの小学生と集団になって一緒に行く。
そして、歩く時は二列に並ぶ。
上の子ちゃんはいつも、A君とペアになる。
そして、私が今回知りたかったのは、『いつもA君と二人だけで学校に行っているのか』という事実である。
私は尋ねる。
「上の子ちゃんはいつも、A君と二人で行くの?」
上の子ちゃんは「うん」と答える。
けれど、実際は集団で学校へ行っている。
だから、他にも幾人かの子達も一緒にいるわけで、決して二人で行っているわけではない。
そこで、少しだけ言葉を加える。
「上の子ちゃんはいつも、A君と二人だけで行くの?」
上の子ちゃんは「うん」と答える。
さらに、今度は少し質問を変えて聞く。
「上の子ちゃんは学校へ行くとき、いつも、A君と二人だけで、周りには他に誰もいないの?」
すると、上の子ちゃんは首を傾げ、「質問が難しい」と言う。
私は頭を抱える。
どう質問したら、上の子ちゃんは、A君だけでなく、何人かの子達も一緒に学校へ行っていることを教えてくれるのだろう。
いくら考えても分からず、私は上の子ちゃんに聞く。
「どう質問したら、みんなで学校へ行っているって答えてくれるかな?」
すると、上の子ちゃんはこう言った。
「いつも、何人で学校へ行っているの?」
私は、頭をガツンっと殴られたような気分になる。
その質問は到底、私には思いつかないものだった。
私の先入観だろうか。
二人だけで行っているのかどうかが知りたくて、私は的を絞って質問した。
けれど、そもそも、そのこと自体を取っ払って、もっと広い視野を持って聞くべきだったのか。
旦那さんが言う。
「子供に質問の意図を察しろと言うのは酷だよ。だから、子供に聞く時はもっとかみ砕いて分かりやすく聞かないと」
そうなのだろうけれど。
でもさ、と思ってしまう。
もし、いつも三人で歩いていて、「いつも二人で歩いているの?」って聞かれたら、こう答えないかな。
「違うよ、三人だよ」
これは、私の常識であって、他の人にも通じるとは限らないのか。
いや、それとも、私は今まで、子供に対して物を尋ねる時の聞き方というものを知らずにいたのか。
頭の中が混乱してくる。
そんな私の様子を見かねてか、旦那さんがさらに言う。
「でも、上の子ちゃんはまだ、人と会話することに慣れていないのかもしれないね」
私は、そうだね、と頷く。
上の子ちゃんはもともと人見知りが酷かったし、『人』よりも『物』に興味があった。
だから、公園へ行っても、黙々とひとりで遊ぶ子だった。
幼稚園に入ってからしばらくは、病気がちで幼稚園をお休みすることが多く、あまり同年代の子と遊ぶ機会がなかった。
年長さんになって、ようやく、体調が落ちついてきた。
幼稚園へ通えるようになり、友達もできた。
幼稚園が終わった後に、友達と遊ぶこともあった。
ただ、遊んでいる様子を見ていると、あまり友達と話すふうではなく、ひとりで遊んでいることの方が多かった。
そして、なぜか、下の子ちゃんが上の子ちゃんの友達とよく遊んでいた。
私は旦那さんに漏らす。
「比べるのはよくないけれど、でも、なぜ、こうも兄弟で違ってしまったのだろう」
下の子ちゃんはよく喋る。
まだ小さいから、うまく意思疎通できないことはあるけれど、基本的にはお互い通じている気がする。
「そりゃあ、あなたとあなたの妹さんでは、全然性格が違うでしょ」
私は頷く。
「それに、育て方だって違う」
一瞬、そうかな?っと思って、それから、まあ、そうか、と思う。
今では下の子ちゃんと話すことの方が多いものの、小さい頃は上の子ちゃんに、いっぱい話しかけてきた。
申し訳ないけれど、下の子ちゃんは放置気味だった。
となると、私は上の子ちゃんに話しかけ過ぎてしまったのだろうか。
正直、わからない。
ただ、私は今までちゃんと、上の子ちゃんとコミュニケーションがとれていたのだろうか。
そう思ったら、すごく不安になってしまった。
すっかり自信を無くした私は、とりあえず、今後、上の子ちゃんに事実確認をする時は旦那さんにも同席してもらうことした。
そして、事実確認に誤りがあったことを先方に伝え、お詫びした。
全く違う事実が発覚した日、寝る前に上の子ちゃんがぽつりと呟いた。
「人と話すことが苦手なの。話そうとすると、頭の中がぐちゃぐちゃになる」
その言葉には、上の子ちゃんなりの苦悩がちらりと垣間見えた気がして、なんだか胸が痛んだ。
人には得手・不得手がある。
上の子ちゃんの場合は、あまり会話をすることを好まないだけだと思っていた。
けれど、そうではなくて、ただ、経験値が低いだけで、本人ももっと話せるようになりたいと思っているのなら。
もちろん、これから、色々な人と接していけば、そのうち上手く話せるようになるかもしれない。
だから、上の子ちゃんの成長をゆっくり見守ってあげればいいのかもしれない。
でも、もし、今、私にできることがあるのだとしたら。
してあげたいとも思う。
でも、私に、一体、なにができるのだろう。
今までも、一生懸命話しかけてきたつもりだった。
そして、それらは大抵、玉砕して終わっている。
だから、もっと違うやり方で、上の子ちゃんの会話を引き出して上げる方法・・・。
だめだ。全く思いつかない。
休日、子供ちゃん達が二人でお人形遊びをしていた。
上の子ちゃんが下の子ちゃんに言う。
「下の子ちゃん〇〇〇って言って」
下の子ちゃんのセリフを指定する。
下の子ちゃんは上の子ちゃんが言った通りに答える。
我が家ではよく見かける光景の一つだ。
なんだか、上の子ちゃんの一方通行なお人形遊びだなと、いつもは苦笑交じりに見ていたのだけれど。
その時、ふと思ってしまった。
もしかして、下の子ちゃんはこうやって、どう返せばいいのかを覚えていったのかしら。
よくよく思い返してみると、私は上の子ちゃんとお人形遊びをしたことがほとんどない。
それは、私が全面的に悪い。
上の子ちゃんはよく、お人形遊びをやりたがった。
そして、私はそれに付き合っていたのだけれど、上の子ちゃんが幼い頃の話だ。
会話をしようにも、語彙が少なくて、どうしても同じようなやりとりが延々と続いてしまう。
結果、私はいつも、一緒に遊んでいる途中で眠ってしまっていたのだ。
そのうち、上の子ちゃんは私とお人形遊びをしようとしなくなった。
そして、現在に至る・・・。
『もしかして、お人形遊びって、上の子ちゃんの成長に必要なものだった?』
なんだか、そんなことを思ってしまった。
それから、すぐに私は旦那さんにお願い事をした。
「人形がもう一体欲しい」
旦那さんが驚いた顔をする。
「なぜ、一体?」
子供ちゃん達に与えるなら、一体ずつで二体必要だろうという意味合いだろう。
「違う。私のが欲しいの」
「あなたの?」
「そう、これからの夏休み、子供ちゃん達と遊ぶために」
それから、私は自分の考えを旦那さんに話した。
上の子ちゃんの会話をもっと引き出したい。
でも、普段やっている方法だとなかなか会話が続かない。
そこで、お人形遊びを通して、会話のキャッチボールができないか。
旦那さんは「それはいい案だ」と言ってくれた。
こうして、子供ちゃん達との長い長い夏休みをどう過ごすのかが決まった。
まあ、一応、色々と準備はしてあるのだけれど。
そこに、もう一つ、加わった。
お人形遊び。
これが、功を奏すのかどうかは分からないし、また、私が同じ過ちを繰り返してしまうかもしれないけれど。
できれば、この夏休み、もう少し、上の子ちゃんと向き合えたらいいなと思っている。