努力
先日、上の子ちゃんの個人懇談があった。
正直なところ、上の子ちゃんは普段、あまり学校のことを話してくれないから、どう過ごしているのかは分からない。
なので、少し、ドキドキしながら学校へ向かった。
上の子ちゃんの教室へ行くと、教室の中には担任の先生一人だけだった。
約束の時間前だったが、すでに前の人との面談は終わっていたようだった。
担任の先生と挨拶をして、席に座る。
まずは、授業についての話。
上の子ちゃんは、とりあえず、字の読み書き、計算についてはクラスでもよくできている方らしい。
それは、時折り、上の子ちゃんが家に持ち帰って来るテストを見て、一応は大丈夫であろうと思っていたものの、先生からお墨付きをもらって、ほっとする。
「そうですか。本人もきっと喜ぶと思います」
私はそう答え、そして、今はとりあえず、この方法を取ってよかったのだろう、と、心の中で思った。
上の子ちゃんは、劣等感の強い子である。
幼稚園に入り、なかなか友達ができなかった時期がある。
それは、本人の人見知りな性格もあるけれど、なにより、病気がちでなかなか幼稚園に行けなかったことが主な要因だった。
けれど、上の子ちゃんは違うふうにとらえてしまったらしい。
『私は友達になってもらえない子なのだ』と思いこんでしまったのだ。
「そんなことはないよ。頑張って、話しかけてごらん。みんな遊んでくれるよ」
幾度も声掛けしてみるものの、上の子ちゃんは頑なに私の言葉を拒んだ。
そして、自信を失っていってしまった。
運動に関してもそうだった。
上の子ちゃんの通う幼稚園は、ほとんどの時間を自由に遊ぶことできた。
ただ、月に何度か、運動の授業があった。
その授業が、上の子ちゃんの劣等感をさらに刺激した。
そもそも、上の子ちゃんは、小さなころから、動くことが苦手な子であった。
歩くことさえ嫌がった。
家の近くの公園へ行くのに、やれ、「抱っこしろ」だの、「ベビーカーを出せ」だの。
その要求はすさまじくて、まず、上の子ちゃんを外へ連れ出すことに苦労した。
そして、公園では黙々と砂遊びをする。
あまりにもずっと砂遊びをしているから、動き足りない私はいつも、上の子ちゃんが遊ぶ砂場の周りを何周もジョギングしていた。
そんな上の子ちゃんのことだから、当然、運動の授業についていけるわけもなかった。
「どうして、私はみんなのように早く走ることができないの」
「どうして、私は縄跳びが上手に飛べないの」
落ち込む上の子ちゃんに、私は答える。
「それはね、今までやったことがないからだよ」
公園へ行って、一緒に練習しようとした。
ところが、上の子ちゃんは数回やるとすぐに止めてしまう。
そして、また、砂遊びを始めるのだ。
そう。上の子ちゃんは練習することが苦手なのであった。
いや、そこで、「別に、できなくてもいいもん」と開き直ってくれるのならいい。
厄介なことに、上の子ちゃんは更に落ち込むのだ。
そして、ぼそりと呟く。
「やっぱり、私はなにもできないんだ・・・」
出来ないことは仕方がない。
でも、この性格はなんとかしないと、このままでは、なんでも自信のない子に育ってしまう。
幼稚園の年長さんになっても、一向に変わらないその性格に私は段々、危惧の念を抱くようになっていった。
そして、よくよく考えた末に、上の子ちゃんに先取りで、小学校の勉強をさせることにした。
理由は二つだ。
一つ目は、上の子ちゃんは幼稚園の年長さんになっても、体調を崩しやすかった。
なので、小学校に入っても、休みがちになってしまう可能性があった。
その場合、授業についていけなくなり、ますます自信を失ってしまうのではないかと思ったから。
そして、二つ目の理由は、上の子ちゃんはじっとしていることを好む子だった。
だから、もしかしたら、運動よりも勉強の方が本人の性格に合っていると思われた。
ただ、早くから勉強をさせるということには、とても抵抗があった。
私自身、幼い頃、親からそうさせられてきたからだ。
そして、少なからず、そのことで親を恨んでいる節もあった。
『できれば、思いきり身体を動かして遊んで欲しい・・・』
けれど、身体を動かすことが苦手な上の子ちゃんに、その想いは届かなかった。
上の子ちゃんに勉強をさせると決めてから、まず、何をさせようか考えた。
その頃には、もう、ひらがなを読むことはできたから、書く練習をさせてみようと思った。
けれど、これは失敗した。
上の子ちゃんの筆圧が弱すぎて、簡単な字はいいが、少し複雑な字になると書けなかったのだ。
そこで、数字の勉強に切り替えた。
数字なら、何とか書くことができたからだ。
そこから、数の数え方、計算と進めていった。
そして、ある程度、筆圧が強くなったところで、もう一度、字を書く練習もした。
当然、上の子ちゃんから勉強をすることに対して、何度も反発は受けた。
「どうして、幼稚園でやっていないのに、おうちでやらなきゃいけないの?」
上の子ちゃんの問いに、私は、いつもこう答えた。
「ごめん。今は分からないと思う。でも、小学校に入ったらわかると思う。それまでは我慢して」
でも、私自身、果たして、この方法で良かったのか、悩むこともあった。
小学校に入学し、授業が始まった。
授業の内容についてはあまり教えてくれないけれど、テストが返却される度、少し誇らしげな顔な顔をして私に見せてくれる。
「今日も、百点が取れたよ!」
その顔を見る度、私はほっとする。
今まで積み上げてきたことが、ちゃんと結果として表れてきている。
そして、上の子ちゃんもそのことを分かっている。
「良かったね。パパが帰ってきたら、見せようね」
上の子ちゃんが嬉しそうに笑う。
そこにはもう、「私は何もできないんだ」と嘆いていた頃の面影はすっかり消えていて。
「上の子ちゃんのこと、しっかりと褒めてあげてくださいね」
そう担任の先生に言われ、「はい」と答える。
それから、「もう一つ」と先生が付け加える。
「上の子ちゃんは、いつも大きな声で気持ちのいい挨拶をされますね。おうちの方がしっかりと教育されているのだなと思いまして」
私は首を横に振る。
そして、答える。
「それこそ、本人の努力の賜物です」
上の子ちゃんは恥ずかしがり屋な性格だ。
それは今でも変わっていない。
けれど、幼稚園の年長さんくらいからだろうか。
まずは、知っている人から、そして、段々と初めて会う人達にもきちんと挨拶できるようになった。
それまでは、挨拶をされても、私の後ろに隠れてしまう子だった。
私も子供の頃はそうだったから、このことで、上の子ちゃんに強く言うことはしなかった。
ただ、機会がある度に「挨拶はその人と仲良くなるために必要なことなのだよ」と伝え、あとは、実際に挨拶したり会釈したりする姿を見せただけだ。
上の子ちゃんは挨拶するとき、少し緊張した面持ちになって、大きく息を吸う。
もしかしたら、ちょっと怖い気持ちもあるかもしれない。
けれど、それに打ち勝って、しっかりと大きな声で挨拶をする。
私も普段から挨拶はしているけれど、こんなにもしっかりと声を出してすることはない。
だから、上の子ちゃんの挨拶する声を聞く度に、頑張っているなあと思う。
先生とはその後、いくらか会話を交わして個人懇談は無事終了した。
上の子ちゃんの教室を後にしながら、「今日はいっぱい上の子ちゃんを褒めてあげよう」と思う。
そして、改めて、「あなたはできる子なのだから、自信を持っていいんだよ」と伝えたいな、と思った。
多分、本人もそのことを少しずつ、分かってきている気はする。
最近では「あれがやってみたい」とか「これがやってみたい」とか。
上の子ちゃんの口から、意欲的な言葉が聞けるようになってきたから。
上の子ちゃんの名前は、何事にも挑戦し、人生を豊かにしていって欲しいという願いを込めてつけた名前だ。
今は私が身重だし、コロナのこともあるのでなかなか思うようにはさせてあげられないけれど。
生活が落ち着いたら、色々なことに挑戦させてあげたいと思っている。
会話のキャッチボール
他人を理解しようなどというのは、傲慢な考えかもしれない。
なぜだか、そんな言葉が頭をよぎった。
親だから、子供のことがわかるようにならねば・・・。
なんて、思っていた節があったからかもしれない。
今回はなかなかに、落ち込んだ出来事だった。
上の子ちゃんは、自分から積極的に話す方ではない。
そして、尋ねても、あまり答えてくれない。
「今日は学校でなにを勉強したの?」
「休み時間はなにをして過ごしたの?」
「今日のお給食は何だった?」
答えてもらえるのは、せいぜい給食のことくらい。
それから、気が向くとお友達の話。
あとは、「忘れた」「わからない」「疲れた」のオンパレードである。
少しでも会話を増やしたくて、ニュースをつける。
すると、ニュースで読み上げられた言葉とか内容で気になったものを私に尋ねてくる。
私は、私の分かる範疇で上の子ちゃんの質問に答える。
上手くいけば、そこからいくらか会話が続くが、基本的には途切れてしまうことの方が多い。
だから、今回のことを通して改めて思い返してみると、私は圧倒的に下の子ちゃんと話すことの方が多くて、上の子ちゃんと会話をする機会はあまりなかったな、と思ったのだった。
事の発端は、上の子ちゃんに事実確認をすることになったことから始まる。
他の方々にも迷惑を掛けることであったため、私は、何度も上の子ちゃんに確認し、そこに私の見てきたことも加えてお伝えした。
それで、終わるはずだった。
けれど、伝えた後に、ふと疑問が湧いた。
そこで、上の子ちゃんに聞いてみた。
すると、全く正反対の答えが返ってきたのである。
私は混乱した。
少し異なるだけではない。
まるで正反対なのだ。
上の子ちゃんが嘘を言っている素振りもない。
いや、そもそも、今回のことで上の子ちゃんが嘘をつく意味がない。
なぜ、こうなった?
私の質問が悪かったのだろうか・・・。
上の子ちゃんと改めて話し合う。
例えば、上の子ちゃんは学校へ行く時、幾人かの小学生と集団になって一緒に行く。
そして、歩く時は二列に並ぶ。
上の子ちゃんはいつも、A君とペアになる。
そして、私が今回知りたかったのは、『いつもA君と二人だけで学校に行っているのか』という事実である。
私は尋ねる。
「上の子ちゃんはいつも、A君と二人で行くの?」
上の子ちゃんは「うん」と答える。
けれど、実際は集団で学校へ行っている。
だから、他にも幾人かの子達も一緒にいるわけで、決して二人で行っているわけではない。
そこで、少しだけ言葉を加える。
「上の子ちゃんはいつも、A君と二人だけで行くの?」
上の子ちゃんは「うん」と答える。
さらに、今度は少し質問を変えて聞く。
「上の子ちゃんは学校へ行くとき、いつも、A君と二人だけで、周りには他に誰もいないの?」
すると、上の子ちゃんは首を傾げ、「質問が難しい」と言う。
私は頭を抱える。
どう質問したら、上の子ちゃんは、A君だけでなく、何人かの子達も一緒に学校へ行っていることを教えてくれるのだろう。
いくら考えても分からず、私は上の子ちゃんに聞く。
「どう質問したら、みんなで学校へ行っているって答えてくれるかな?」
すると、上の子ちゃんはこう言った。
「いつも、何人で学校へ行っているの?」
私は、頭をガツンっと殴られたような気分になる。
その質問は到底、私には思いつかないものだった。
私の先入観だろうか。
二人だけで行っているのかどうかが知りたくて、私は的を絞って質問した。
けれど、そもそも、そのこと自体を取っ払って、もっと広い視野を持って聞くべきだったのか。
旦那さんが言う。
「子供に質問の意図を察しろと言うのは酷だよ。だから、子供に聞く時はもっとかみ砕いて分かりやすく聞かないと」
そうなのだろうけれど。
でもさ、と思ってしまう。
もし、いつも三人で歩いていて、「いつも二人で歩いているの?」って聞かれたら、こう答えないかな。
「違うよ、三人だよ」
これは、私の常識であって、他の人にも通じるとは限らないのか。
いや、それとも、私は今まで、子供に対して物を尋ねる時の聞き方というものを知らずにいたのか。
頭の中が混乱してくる。
そんな私の様子を見かねてか、旦那さんがさらに言う。
「でも、上の子ちゃんはまだ、人と会話することに慣れていないのかもしれないね」
私は、そうだね、と頷く。
上の子ちゃんはもともと人見知りが酷かったし、『人』よりも『物』に興味があった。
だから、公園へ行っても、黙々とひとりで遊ぶ子だった。
幼稚園に入ってからしばらくは、病気がちで幼稚園をお休みすることが多く、あまり同年代の子と遊ぶ機会がなかった。
年長さんになって、ようやく、体調が落ちついてきた。
幼稚園へ通えるようになり、友達もできた。
幼稚園が終わった後に、友達と遊ぶこともあった。
ただ、遊んでいる様子を見ていると、あまり友達と話すふうではなく、ひとりで遊んでいることの方が多かった。
そして、なぜか、下の子ちゃんが上の子ちゃんの友達とよく遊んでいた。
私は旦那さんに漏らす。
「比べるのはよくないけれど、でも、なぜ、こうも兄弟で違ってしまったのだろう」
下の子ちゃんはよく喋る。
まだ小さいから、うまく意思疎通できないことはあるけれど、基本的にはお互い通じている気がする。
「そりゃあ、あなたとあなたの妹さんでは、全然性格が違うでしょ」
私は頷く。
「それに、育て方だって違う」
一瞬、そうかな?っと思って、それから、まあ、そうか、と思う。
今では下の子ちゃんと話すことの方が多いものの、小さい頃は上の子ちゃんに、いっぱい話しかけてきた。
申し訳ないけれど、下の子ちゃんは放置気味だった。
となると、私は上の子ちゃんに話しかけ過ぎてしまったのだろうか。
正直、わからない。
ただ、私は今までちゃんと、上の子ちゃんとコミュニケーションがとれていたのだろうか。
そう思ったら、すごく不安になってしまった。
すっかり自信を無くした私は、とりあえず、今後、上の子ちゃんに事実確認をする時は旦那さんにも同席してもらうことした。
そして、事実確認に誤りがあったことを先方に伝え、お詫びした。
全く違う事実が発覚した日、寝る前に上の子ちゃんがぽつりと呟いた。
「人と話すことが苦手なの。話そうとすると、頭の中がぐちゃぐちゃになる」
その言葉には、上の子ちゃんなりの苦悩がちらりと垣間見えた気がして、なんだか胸が痛んだ。
人には得手・不得手がある。
上の子ちゃんの場合は、あまり会話をすることを好まないだけだと思っていた。
けれど、そうではなくて、ただ、経験値が低いだけで、本人ももっと話せるようになりたいと思っているのなら。
もちろん、これから、色々な人と接していけば、そのうち上手く話せるようになるかもしれない。
だから、上の子ちゃんの成長をゆっくり見守ってあげればいいのかもしれない。
でも、もし、今、私にできることがあるのだとしたら。
してあげたいとも思う。
でも、私に、一体、なにができるのだろう。
今までも、一生懸命話しかけてきたつもりだった。
そして、それらは大抵、玉砕して終わっている。
だから、もっと違うやり方で、上の子ちゃんの会話を引き出して上げる方法・・・。
だめだ。全く思いつかない。
休日、子供ちゃん達が二人でお人形遊びをしていた。
上の子ちゃんが下の子ちゃんに言う。
「下の子ちゃん〇〇〇って言って」
下の子ちゃんのセリフを指定する。
下の子ちゃんは上の子ちゃんが言った通りに答える。
我が家ではよく見かける光景の一つだ。
なんだか、上の子ちゃんの一方通行なお人形遊びだなと、いつもは苦笑交じりに見ていたのだけれど。
その時、ふと思ってしまった。
もしかして、下の子ちゃんはこうやって、どう返せばいいのかを覚えていったのかしら。
よくよく思い返してみると、私は上の子ちゃんとお人形遊びをしたことがほとんどない。
それは、私が全面的に悪い。
上の子ちゃんはよく、お人形遊びをやりたがった。
そして、私はそれに付き合っていたのだけれど、上の子ちゃんが幼い頃の話だ。
会話をしようにも、語彙が少なくて、どうしても同じようなやりとりが延々と続いてしまう。
結果、私はいつも、一緒に遊んでいる途中で眠ってしまっていたのだ。
そのうち、上の子ちゃんは私とお人形遊びをしようとしなくなった。
そして、現在に至る・・・。
『もしかして、お人形遊びって、上の子ちゃんの成長に必要なものだった?』
なんだか、そんなことを思ってしまった。
それから、すぐに私は旦那さんにお願い事をした。
「人形がもう一体欲しい」
旦那さんが驚いた顔をする。
「なぜ、一体?」
子供ちゃん達に与えるなら、一体ずつで二体必要だろうという意味合いだろう。
「違う。私のが欲しいの」
「あなたの?」
「そう、これからの夏休み、子供ちゃん達と遊ぶために」
それから、私は自分の考えを旦那さんに話した。
上の子ちゃんの会話をもっと引き出したい。
でも、普段やっている方法だとなかなか会話が続かない。
そこで、お人形遊びを通して、会話のキャッチボールができないか。
旦那さんは「それはいい案だ」と言ってくれた。
こうして、子供ちゃん達との長い長い夏休みをどう過ごすのかが決まった。
まあ、一応、色々と準備はしてあるのだけれど。
そこに、もう一つ、加わった。
お人形遊び。
これが、功を奏すのかどうかは分からないし、また、私が同じ過ちを繰り返してしまうかもしれないけれど。
できれば、この夏休み、もう少し、上の子ちゃんと向き合えたらいいなと思っている。
雨の日
雨の日は、昔から苦手だ。
どんより曇っている空を見ていると、心が沈んでくる。
主婦になってからは、ますます、そう思う。
部屋が干した洗濯物でいっぱいになる。
洗濯物が乾かない。
部屋の中が湿気でじめっとする。
だから、梅雨の季節は毎年、憂鬱だった。
ところが、今年はあっという間に梅雨が明けてしまった。
なんだか、拍子抜けである。
そして、ずっと、暑い日が続く。
ふと、カタツムリはどうしているのだろうか。
などと、考えてしまう。
先月の雨の日に、旦那さんの実家の庭先で見つけたカタツムリ。
二匹寄り添って、庭先の石畳を這っていた。
もちろん、その場には子供ちゃん達もいた。
そして、ご想像のごとく、子供ちゃん達は「飼いたい!」と言い出した。
「いや、せっかく二匹でお散歩しているし、そっとしておいてあげよう」
そういう私の意見は全くもって聞いてもらえず、二匹のカタツムリは虫かごの中に入れられたのである。
それからは、やれ、「えさは何をあげればいいの」だの、「どちらがオスでどちらがメスなの」だのと騒ぎ出す。
「ご飯は、お野菜の切れ端をあげて。あと、卵の殻をあげるとカタツムリのカラが丈夫になるよ。それから、カタツムリはオスもメスもないよ」
子供ちゃん達がスマホで色々と検索しようとしている横で、私はすらすらと答えていく。
なぜ、そんなこと知っているのかだって?
私は子供の頃、カタツムリを飼っていたことがあるからだ。
決して、カタツムリが好きだったわけではない。
イヌとかネコとか。
本当は動物のペットが欲しかったのだ。
けれど、残念なことに買ってもらえなかった私は、公園でよく捕れるカタツムリを飼うことにした。
しかも、三匹!
今思えば、ありえないことだ・・・。
まあ、そのおかげで、カタツムリの生態というものがよくわかったし、卵から孵った小さな小さなカタツムリを見ることもできた。
だから、決して、飼うということが悪いわけではない。
ただ、子供ちゃん達の年齢で生き物を飼う場合、主に世話をするのは親である。
そして、今の私が世話をするというのは、生理的に無理な話で。
早いところ、逃がしてあげるよう子供ちゃん達を説得せねば、などと思ったのだった。
まあ、そんなわけで、久しぶりにカタツムリと関わり、なおかつ、梅雨をすっ飛ばし、真夏に突入してしまった今回のことを合わせて、ふと、カタツムリに思いを馳せてしまった私。
「カタツムリは大丈夫だろうか」と呟くと、旦那さんが「荒野に殻だけがポツンと転がっている」と言う。
もちろん、冗談だけれど、今年のこの恐ろしい暑さでは、それもありうるかもなんて思ってしまう。
そして、この暑さは、上の子ちゃんの学校生活にも影響を及ぼし始めている。
最近、上の子ちゃんがイライラしている。
下の子ちゃんと喧嘩をするのは、よくあることなのだけれど、いつもよりも一回一回の喧嘩に過剰反応しているように思えるのだ。
何か具体的な原因があるわけではない。
ただ、上の子ちゃんと話をしていて思ったことがある。
小学校で思いきり身体を動かす機会が、失われている気がする。
上の子ちゃんの学校では、今、プール以外に体育の授業がない。
熱中症対策で、体育館や外で授業を行うことができないのだ。
そして、休み時間に外で遊ぶ場合は、マスクを外さなければならないらしい。
その点、上の子ちゃんは、コロナが怖いし、私が妊娠中ということもあって、マスクを外したくないので外で遊んでいないというのだ。
この暑さでは学校の行き帰りだけでも、体力をそこそこ消耗するにしても、身体を思うように動かせないのはストレスが溜まるのではないかな、と思ってしまう。
そして、私自身も、この暑さでだいぶ参っている。
私は、毎朝、朝食を食べた後は血糖値を下げるため、散歩することを日課にしている。
少し前までは、気候も良く、自分のペースで身体を動かすことができるため、散歩することを楽しみにしていた。
けれど、今では、家の外へ出ようとすると、面白いくらいにため息が出る。
ああ、行かねば・・・。
重い腹?を上げ、外に出る。
外に出た途端、容赦なく燦燦と輝く太陽の下にさらされる。
ゆらゆらと横に上半身を揺らしながら、いつもの散歩道を歩く。
前方を見れば、延々と続くアスファルトの小道。
歩きながら、『今日も無事、歩き終えることができるかしら』なんて考えてしまう。
だから、つい先日、小雨が降ったとき、私は久しぶりに心躍らせながら散歩道を歩いた。
最初は傘を差していたけれど、細かな雨粒がひんやりと気持ちよくて、途中からは傘を閉じて歩いていた。
雨の日が嬉しいなんて思ったのは、いつ振りだろうか。
昔の記憶を辿ってみるもものの、全く思い出せない。
きっと、それくらい、私には久しいことなのだ。
ふと、雨の日の下の子ちゃんの姿を思い出す。
下の子ちゃんは雨の日も嬉々としている。
開いた傘をくるくると回し、深い水溜まりの中に履いている長靴をゆっくりと沈め、思う存分、雨の日を満喫する。
一方、こちらは、傘を差している分、視野が狭く動きにくいうえに、やれ濡れないかだの、自転車が来ないかなど。
いつも以上に、目を光らせる羽目に陥るのだけれど。
今日は、気楽なおひとりさまだ。
『きっと、カタツムリも喜んでいるだろな』
なんて、二匹のカタツムリのことを思い出しながら、ゆっくりと雨の日を堪能したのだった。
そして、その日は、上の子ちゃんにとっても楽しい日であったらしい。
なんと、体育館で久しぶりに体育の授業があったというのだ。
上の子ちゃんは学校から帰ってきて早々に、私に報告してくれた。
自分から学校のことをなかなか進んで話してくれない上の子ちゃんのことだから、よっぽど嬉しかったのだろう。
心なしか表情も、いつもよりすっきりしたものになっていた。
状況が変わると、今まで嫌いだったことが好きになることもあるようだ。
でも、やっぱり、人間、調子のいいもので、大歓迎していたはずの雨の日も数日続けば、今まで通り憂鬱な日に戻っている。
原因は、乾かない洗濯物の山、山、山。
視界に入る度に気が滅入る。
いい塩梅って難しいなあ・・・。
そんなことを思いながら、今日もちらつく雨の中を散歩しに行くのだった。
大きなカブ
子供の頃、一度は『大きなカブ』という話を耳にしたことがある方もいらっしゃるのではないだろうか。
かくいう私も、子供の頃、『大きなカブ』という話を何度か読んだことがある。
おぼろげだけれど、劇で役を演じた覚えもある。
その時は多分、孫娘の役だった。
時々、『大きなカブ』の主役はなんなのだろうと考える。
最初に登場する『おじいさん』?
そんなことを考えるようになったのは、私の妹が『大きなカブ』を学芸会でやることになったときだ。
妹の役はなんと、『大きなカブ』だった。
それを聞いた時、思わず、尋ねた。
「カブってセリフあるの?」
ちゃんとあるらしい。
しかも、最初から最後までずっと舞台の上に登場している。
「そうか。すごいね・・・」
題名にもなっているし、ある意味、主役な気がする。
なのに、なんとも釈然としなかった記憶がある。
上の子ちゃんは小学校に通っている。
そして、毎日、学校から宿題が出される。
その一つが、音読だ。
いつやるのか、決めてはいないけれど、ちょっとした合間に披露してくれる。
「うんとこしょ。どっこいしょ」
例の『大きなカブ』である。
それぞれの配役に合わせて声を替え、心を込めて読んでいるから感心する。
「上手だねえ」と声を掛けると、「私、下手なんだ」と上の子ちゃんがしょんぼりとした声で言う。
どうやら、学校の授業で『大きなカブ』の劇をすることになったらしい。
しかも、配役は、上の子ちゃんが学校を休んだ時に決めていて、上の子ちゃんは『おばあさん』役なのだそうだ。
セリフは「うんとこしょ。どっこいしょ」のみだ。
ところが、いざ、やってみると、恥ずかしくて声が出せない。
三回目になって、ようやく言えたというのだ。
うーん。それは下手と言うのだろうか。
「下手と言うより、みんなの前で読むことに慣れていないだけじゃない?ママが聞いている限り、上の子ちゃんは大きな声でしっかり読めているよ」
そう言うと、上の子ちゃんは「そうかな」と自信なさげに答える。
「うん。ちゃんと大きな声で読めば大丈夫よ」
私が太鼓判を押すと、上の子ちゃんは「わかった!今度は大きな声で頑張ってみる」と答える。
いつも、ちょっとだけ自信のない上の子ちゃん。
負けるな!頑張れ!と思う。
そして、上の子ちゃんの音読を毎日のように聞いている下の子ちゃん。
時々、上の子ちゃんが音読をしている傍で、楽しそうにセリフを言ったりしている。
我が家では、今、お風呂はひとりひとり入れているのだけれど、下の子ちゃんはお風呂に漬かっている時、よく、『大きなカブ』を大きな声で暗唱している。
「おじいさんがカブを引っ張りました。『うんとこしょ。どっこいしょ』それでも、カブは抜けません。おじいさんはおばあさんを呼んできて・・・」
生き生きとしていて、つい、耳をすませて聞いてしまう。
そして、そうやって聞いていると、実に上の子ちゃんの影響はすごいなあと思う。
いつの間にか、大まかではあるけれど、物語を一つ暗唱することができているのだ。
それは、今回のことに限ったことではない。
例えば、お絵かきだったり、字を書くことだったり。
色々なことの習得が、とにかく下の子ちゃんは早いのだ。
私はそれをよく、「すごいねえ」と褒めていたのだけれど。
最近は、そこに、もう一言添える。
「やっぱり、上の子ちゃんのおかげだねえ。上の子ちゃんが上手にできるから」
そう言うと、上の子ちゃんは嬉しそうに笑う。
そして、時々、「だって、私が教えてあげてるから」と得意げに言う。
本当に、そうだなあ、と思う。
上の子ちゃんの面倒見の良さも、下の子ちゃんの習得の速さに一役買っているのだ。
親が教えなくても、子供同士で高め合っていく。
子供ちゃん達の関係を見ていると、兄弟っていいなあと、つくづく思わされる。
上の子ちゃんの音読が、『大きなカブ』から『おむすびころりん』に変わる。
「おむすびころりん、すっとんとん。おむずびころりん、すっとんとん」
上の子ちゃんが、可愛らしい声色で読む。
その横には、ちゃんと下の子ちゃんが控えていて。
「おむすびころりん、すっとんとん。おむずびころりん、すっとんとん」
そのうち、我が家のお風呂場でも可愛らしいセリフが聞こえてくる日が来るかもしれない。
そんな日を心待ちにしている私がいる。
朝のハプニング
最近、上の子ちゃんは朝、登校班の集合時間ぎりぎりに家を出る。
少し早く行くと、誰もいないというのもあるけれど、まあ、大抵は、のんびりしていて準備が間に合わないのだ。
先日もそんな感じで、集合時間ぎりぎりに家を飛びだしていった。
やれやれ。
送り出して、ほっと一息。
玄関付近の床を掃除していたら、外から泣き声が聞こえた。
そして、玄関のドアノブをガチャガチャと回す音。
もしかして、上の子ちゃん?
慌てて、扉を開ける。
案の定、上の子ちゃんが泣きながら立っている。
『忘れ物でも取りに来たのだろうか・・・?』
「どうしたの?」と聞くと、「遅かったから、みんなに置いてかれちゃった」と言う。
『そんな、ばかな!』
「今日、休むって伝えてないし、勝手に行っちゃうことはないと思うけれど」
「でも、誰もいないんだもん」
上の子ちゃんが、わっと泣き出す。
私は時計を見ながら、頭の中で上の子ちゃんを学校へ送っていけるか考える。
問題は、旦那さんの出勤時間までに家に戻れるか、だ。
戻ってこられないと、下の子ちゃんが家で一人になってしまう。
私がこのお腹でなければ、何とかなりそうだけれど。
でも、ゆっくり考えている時間はない。
「旦那さん、旦那さん」
朝食を食べている旦那さんに、急いで相談する。
「どうやら、みんなに置いてかれちゃったみたいだから、送ってくね」
「えっ!」
旦那さんの驚いた声。
急いで家を出る準備を始めると、家の窓を開ける音がした。
「みんな、集合場所にいるぞ」
どうやら、旦那さんが外の様子を確認してくれたようだ。
「みんな待たせちゃってるみたいだから、早く行こう」
まだ泣いている上の子ちゃんをひとりで行かせるのは心配だったので、一緒についていくことにする。
みんなが待っている集合場所に行く途中で、上の子ちゃんに、「遅れた理由を説明して謝っておきなよ」と言っておく。
上の子ちゃんは頷いたものの、いざ、待っているみんなの姿を見た途端、立ち止まってしまった。
待っているみんなも、泣いている上の子ちゃんを見て戸惑っている。
『仕方ない。私から説明しよう』
待っている子供達に近づこうとして、はたと気づく。
『しまった!マスク、忘れた・・・』
とりあえず、その場に立ち止まり、上の子ちゃんに集合場所までいくよう促す。
そして、口を手で覆い、その場から大きな声で説明する。
「少し早く集合場所に行ってしまったみたいで、皆さんがいなかったので置いてかれたと勘違いしてしまったみたいです。ご迷惑おかけして、ごめんなさい」
なんとか通じたようで、子供たちは、「ああ」という感じで、頷いてくれた。
子供たちが、いつものように列に並ぶ。
上の子ちゃんも、少し気持ちが落ち着いたようで、先頭のお姉さんの隣について歩く。
『もう、大丈夫かな』
ひとまず、一件落着。
私は急いで家に戻る。
まだまだ、やることは沢山残っている。
午後になって、上の子ちゃんを迎えに行く。
迎えに行くと行っても、学校までではなく、家の近くでうろうろしているくらいだけれど。
少し歩いていたら、小学生の子達の姿が見えた。
『身体が大きいから、上の子ちゃんより上の学年の子達だな』と思っていたら、端っこにはひとり、小柄な子がいる。
よく見ると、上の子ちゃんだった。
そして、一緒に歩いているのは登校班の子達だ。
『ちょっと、お邪魔だったかな・・・』
近づいてきた上の子ちゃんに、「もしかして、一斉下校だった?」と尋ねる。
上の子ちゃんは「違う」と言う。
どうやら、帰って来る途中で一緒になったようだ。
思い返してみると、今までもそうやって、一緒に帰って来る姿を何度か見ている。
「一緒に帰れて良かったね」
そう言うと、上の子ちゃんは嬉しそうに「うん」と頷く。
そして、照れ臭そうに「でも、恥ずかしくて、なかなか話せないんだ」と言う。
私は「そっか」と相づちを打つ。
上の子ちゃんは恥ずかしがり屋だ。
慣れるまでに時間が掛かる。
それでも、気にかけて一緒に帰ってくれる。
そういう人たちがいてくれる班で良かったな、と思う。
「今日はさ」と上の子ちゃんが話始める。
「遅刻だと思って急いで行ったら、誰もいなかったから驚いちゃったんだ」
あのパニックぶりを見ると、本当にびっくりしたのだろうな、と思う。
でも。
「上の子ちゃんが一人にならないように、一緒に帰ってきてくれるんでしょ。だから、そんなことはしない気がするよ」
「そうだね」
上の子ちゃんがにこりと笑う。
朝からちょっと疲れてしまったし、ほっこりというには、あまりにも外は暑すぎるけれど。
なんだか優しい気持ちで、家路についたのだった。
眠り続ける
妊娠して、最初の血液検査で妊娠糖尿病にかかっていることが分かった。
それからというもの、私は産婦人科と内科(糖尿)の受診が必須となってしまった。
どちらも家から遠いため、車で行かなければならない。
私は運転ができないから、いつも土曜日に旦那さんに送り迎えをしてもらっている。
これまでの間、何度か、病院へ行く日が重なることが度々あった。
そういう日は、午前と午後で分けて行く。
病院へ行くといっても、基本的に待合室で座って待っているか、診察してもらうだけ。
それなのに、家へ帰ると、とてつもなく疲れている。
そして、次の日は、なぜか一日中、眠っている。
先週もそんな感じだった。
午前中に産婦人科へ診察を受けに行く。
エコーで見せてもらった我が子は、丸々と肉付きが良くて、しっかり栄養をとられているなあ、と笑ってしまった。
それから、バースプランの確認。
一度、話し合っているから、今回は最終確認といったところだ。
初めての子の時は、何も分からなかったから、その分、不安もあって、やれ、こうして欲しいだの、色々と要望があった気がする。
けれど、三人目ともなると、「どうして欲しいですか」と聞かれれば、ひとえに、「無事にスルリと生まれてきて欲しい」くらいだな、と思う。
午後は内科(糖尿)へ行く。
血糖値は計測器のトラブルなどがあったけれど、今のところ、安定している。
そのおかげで、行く頻度も少なくなっていた。
来院は今回と、もうあと一回くらいかなと思っていたら、今回で最後となった。
先生曰く、妊娠後期になると、さらに血糖値が上がってしまうこともあるらしいが、私の場合は低い値でおさまっているから、今まで通りの生活をしていれば問題ないだろうという判断だった。
といっても、もちろん、来院しなくてよくなっただけで、血糖値測定から解放されたわけではなく、出産するまでは今まで通り測り続けなくてはならない。
これといって日常やることは変わらないのだけれど、それでも、やっぱり、気は少し楽になる。
それに、ちょうど、これからの時期、産婦人科への来院回数が増えていくので、来院しなくていいというのは体力的に助かった。
そして、日曜。
土曜日、それなりに疲れは溜まっていたけれど、それほどでもないと思っていた。
けれど、朝、起きられなかった。
先に目を覚ました上の子ちゃんに「お腹が減った」と起こされる。
上の子ちゃんも下の子ちゃんも、休日の朝はゆっくり寝ていたのに、小学校や幼稚園に通い出してから、だんだんと早起きになってきた。
おかげで、お休みの日も規則正しい時間に起こしてもらえる。
眠い目をこすりつつ、お腹を空かせた子供ちゃん達に食事を作る。
それから、いつも通り、休みながら家事をする。
旦那さんが子供ちゃん達を外へ連れて行ってくれることになったので、その間、少し眠る。
それで、身体は回復すると思っていたけれど、どうも調子が悪い。
身体が重くて、眠いのだ。
外から子供ちゃん達が帰って来る。
子供ちゃん達に昼食を食べさせて、それから、旦那さんの実家へ行く予定だったけれど、私は家に残ることにした。
そして、また、眠る。
起きたらいい時間になっていて、急いで夕食の準備をする。
少し、身体が楽になった気がする。
旦那さんの実家から子供ちゃん達が帰って来る。
子供ちゃん達に夕食を食べさせて、旦那さんにお風呂に入れてもらって・・・。
その間、私はやっぱり眠っていた。
旦那さんに声を掛けられ、目を覚ます。
お風呂に入ろうと、靴下を脱いだら、驚くほどくっきりと足首に靴下の跡が残っていた。
「ああ。今日はいつもよりむくんでいる」
ちょうど近くに旦那さんがいたので、「ねえねえ」と声を掛けて、足首を見せる。
旦那さんが「あとでマッサージしないとな」と言う。
お風呂を出て、旦那さんに足をマッサージしてもらう。
最近は床に座るのも辛くなってきたので、なかなか自分でマッサージができない。
しばらくやってもらうと、足が軽くなった気がした。
旦那さんに感謝。
その後、眠気が襲ってきて、布団の上に転がった。
昼間、かなり寝ていたはずなのに、眠くて仕方ない。
昔の私なら、今日一日、何をやっていたのだろう、と自己嫌悪に陥っていたところだ。
何か目的があるわけでもないのに、いつも、『何かをしなければ』と焦ってばかりいた。
今はというと、昔の私がちらりと首をもたげつつも、旦那さんの言葉を借りれば、『そんな日もあるさ』である。
そして、しっかり休んだ後はまた、いつものように頑張ればいい。
そう思って眠りについたのだけれど、早速、週始めからやらかしてしまった。
携帯電話が傍になくて、アラームが鳴っていることに気付かなかったのだ。
朝、窓から差し込む日差しを見て、跳び起きる。
まだ、起きたばかりでぼんやりとしている脳みそに、『みんなの朝食と旦那さんのお弁当を作らなければ』と言い聞かせ、必死に手を動かす。
昨夜の旦那さんのマッサージが効いているのか、身体が少し軽かったのが幸いだった。
なんとか朝の家事を終わらせて、下の子ちゃんを幼稚園バスに乗せ、ほっと一息。
少しだけ近所を散歩して、家に戻る。
月が替わる。
出産日が近づく。
カレンダーを一枚捲る度、何事もなく過ぎて良かったと思う。
まだ、カウントダウンするには気が早いけれど。
あと、もう少し、あと、もう少し。
そう自分に言い聞かせながら、今月もまた、一日、一日が無事すぎてゆくことを祈っている。
もうすぐ夏休み
小学校や幼稚園から、子供ちゃん達の来月の予定が届く。
目に飛び込んできたのは『終業式』の文字。
そうだ!来月の途中から、夏休みか・・・。
うぬぬ、と唸る。
出産のための入院準備も、お腹の子供ちゃんのための準備も、大方終わり、ほっと一息ついたのもつかの間。
『子供ちゃん達の夏休み計画』を立てねば、と己を奮い立たせる。
毎年、これくらいの時期になると、頭を悩ませる。
一か月以上、一体、子供ちゃん達と何をすればいいのだろう・・・。
自分の子供の頃を思い出す。
公園で蝉取りをしたり、プールへ行ったり、近所の友達と遊んだりしていたなあ、と思う。
でも、今は、そもそも、昔と気温が全く違う。
今年の夏なんて、特に、だ。
昼間に外で遊ばせようものなら、倒れてしまうだろう。
それに、我が家だけだろうか。
幼稚園や小学校が終わった後に、お友達と遊ぶということがない。
ましてや、夏休みに遊ぶ約束なんて、出来ようもない。
どこか連れて行こうにも、車の運転はできないし、お腹の大きいこの身体で、暑い中、子供ちゃん達と歩いてどこへ行けるやら・・・。
ないもの尽くしで参ってしまう。
まあ、できないものは仕方ないので、気を取り直して、子供ちゃん達の要望を聞いてみる。
私 :「夏休みにしたいことはありますか?」
上の子ちゃん:「家で、ごろごろ、だらだらしたい」
私 :「えっ・・・」
上の子ちゃんの、夏休みに対するあまりの脱力具合に絶句する。
本当にそれでいいのなら、楽なのだけれど。
いや、むしろ、『せっかくの夏休み、それでいいのか!』とすら思ってしまう。
にしても、一体、この子、誰に似たのかしら・・・。
上の子ちゃんの可愛い横顔を、つい、まじまじと見てしまう。
そして、もう一名。
私 :「下の子ちゃんは、夏休み、何がしたいですか?」
下の子ちゃん:「海でバーベキュー!」
私 :「・・・」
元気よく答える下の子ちゃん。
でも、今ですら、この暑さ。
下の子ちゃんの望む、その光景を想像するだけで、汗が噴き出してくる。
網の上でお肉とか焼けるより先に、私達が浜辺でこんがり、いい具合に焼けてるんじゃないかしら・・・。
考えるのが面倒になってくる。
でも、無計画に夏休みを迎えるのは無謀だ。
絶対、夏休みのどこかで「退屈だから、ママどうにかして!」と、子供ちゃん達の暴動が起きるに決まっているのだから。
さてさて、どうしたものかな。
とりあえず、子供ちゃん達が興味のありそうなものを思い浮かべる。
まずは、料理だ。
ちょっと時間がかかりそうだけれど、この間買ったイーストがまだ残っているから、パンとかピザとかを一緒に作ってみるのはどうだろう。
それから、簡単だけれど、好みのジュースや果物を買ってきて、ゼリーやアイスキャンディーとかの冷たいスウィーツを作るとか。
ただ、これは私の体調次第のところがある。
なので、保留にしておく。
それから、水遊び。
これは毎年、好評だ。
お風呂にぬるま湯を張り、スーパーボールなどの玩具を浮かべる。
子供ちゃん達の気分を盛り上げるため、遊ぶ時は、もちろん水着だ。
今年は更に楽しんでもらうために、おもちゃの魚と釣り竿を買ってみた。
子供ちゃん達が最近、「釣りがしてみたい」と言っていたからだ。
気に入ってもらえるかわからないので、とりあえず、一つだけ。
けれど、買って早々、子供ちゃん達に見つかった。
しかも、釣り竿が一つしかなかったことから、喧嘩が勃発し・・・。
平和な夏休みを過ごすため、夏休みに入る前に追加購入する予定。
あとは、工作。
作ることが大好きな子供ちゃん達。
時間があると、しょっちゅう何かを作っている。
おかげで部屋の中は、常時、折り紙の切れ端やら空き箱の残骸などが散らばっている。
そして、毎朝、部屋を掃除する度に、怒ってしまう私。
でも、まあ、何か夢中になれるものがあるというのはいいことだよ、ね?
『工作』とネットで検索してみると、まあ、出てくるわ、出てくるわ。
その中で、なるべく、親が手を貸さなくてもできそうなもの、そして、作った後、しばらく遊べそうなものを、レビューを参考に探していく。
いくつか見ていく中で、面白そうなものを発見する。
お花や鳥、虫や魚など。
自分の興味のある分野の物を、紙で作ることができるらしい。
上の子ちゃんはお花で、下の子ちゃんは・・・恐竜か?
子供ちゃん達に何が作りたいか確認して、注文しようと思う。
あとは、塗り絵とかお絵かきとかDVDとか。
私の体調関係なく、子供ちゃん達が家の中で楽しめそうなものを考える。
それにしても、上の子ちゃんを幼稚園に通わせるようになってからだろうか。
毎年、こうやって、夏休みの計画を考えていると、いつも思うことがある。
それは、『子供たちの楽しめるカリキュラムを毎日考えられる幼稚園の先生ってすごい』ということである。
上の子ちゃんも下の子ちゃんも、幼稚園に入ってから、色々な経験をさせてもらっている。
例えば、歌を歌ったり、工作をしたり、水遊びをしたり。
上の子ちゃんは、幼稚園に馴染むのにしばらく時間を要したけれど、慣れてからは毎日楽しそうに通っていた。
それは、今、幼稚園に通っている下の子ちゃんも然り。
普段は、当たり前のように通わせているから、あまり意識はしていないけれど。
いざ、こうやって、子供ちゃん達と毎日どう過ごすか計画を立てようとすると、なかなか思いつかなくて、しみじみ、幼稚園の存在にありがたみを感じてしまう。
今年は、新しい家族がもう一人増えるという意味では、印象深い夏休みになるかもしれない。
ただ、その分、慌ただしくなったり、はたまた、寂しい思いをさせてしまったりもするわけで。
そのような中でも、できるだけ、子供ちゃん達には楽しい思い出を残してあげられるように。
もう一ひねり。
頭を悩ませてみようかなと思う。