悩めるママの子育て徒然日記

30代主婦 三児の母 趣味は料理、散歩、読書 旦那さんからは『悩むことが趣味』と言われている

眠気

 最近、朝に起きるのが辛い。

 ものすごく眠いのだ。

 日中も、突然、眠気に襲われる。

 掃除している時とか、本を読んでいる時とか。

 いつやって来るのかは分からない。

 そして、大抵、私は抗うことができず、寝てしまう。

 目が覚めてすぐ、まだぼんやりとしている頭の中で考える。

 私は何をしていたのだっけ。

 それは床の上だったり、はたまた、子供ちゃん達の遊ぶトランポリンの上だったりして、思い出すのに幾分か時間が掛かる。

 上の子ちゃんの時も、下の子ちゃんの時も。

 出産が近づいてくると、こういう症状が起きた。

 だから、今回も順調に進んでいるのだろう。

 上の子ちゃんを妊娠している時、あまりにも眠気が酷くて一度、ネットで調べたことがある。

 その時に『出産したら眠れなくなるので、妊娠中、眠い時はしっかり寝ておきましょう』みたいな言葉が書いてある記事があって、『へえ、そうなんだ』と思ったことを覚えている。

 でも、それがどういう意味か身に染みて分かったのは、上の子ちゃんを産んでからであった。

 以前にも書いたけれど、上の子ちゃんは本当に眠らない子だった。

 朝でも夜でも、1~2時間おきに必ず起きる。

 そして、眠るのが本当に下手だった。

 私は子供を産むまで、赤ちゃんがすることと言えば、『寝る』か『ミルクを飲む』かだと思っていた。

 だから、まさか、その『寝る』ができないということに、驚いた。

 上の子ちゃんは、眠るまでひたすら泣き続けた。

『眠いけれど、眠れないから、あなたが寝かしてください』

 そんなことを言われている気がして、『いやいや、そんな身勝手な』と心の中で何度も突っ込んだ。

 寝かせるために色々と試みた。

 最終的に編み出したのが、腕に抱き揺らしながら、さらに足踏みをするというものだった。

 抱っこするだけでも、揺らすだけでも駄目だ。

 必ず、足踏みも必要なのだ。

 そして、三十分くらいやらないと眠らない。

 朝はまだいい。

 夜中、眠気と闘いながらやるのは辛かった。

 気休めに、赤ちゃんの寝つきが良くなるCDをかけながらやっていた。

 自分が寝てしまいそうだった。

 

 見かねた母が、夜中の番を代わってくれたことがある。

 夜中に気になって、母と上の子ちゃんがいる部屋を覗いてみた。

 薄暗い中で、ぼんやりと浮かび上がったのは、座椅子の上に幾重にも積みあがった毛布の山。

『なんだ、これ』
 あまりにも不気味なものを見た気がして、思わず、のけ反った。

 回り込んでみると、毛布の山の中に母は埋もれていた。

 膝に、上の子ちゃんを乗せている。

 足踏みが大変だったから、膝の上に乗せて揺らしていたらしい。

 そして、幾重にも積まれた毛布は、部屋が寒かったから。

 疲れ切った母の顔を見て、寝かし付けを交代した。

 

 こんなこともあった。

 いつものように?無事、寝かし付けを終え、布団に入ろうとしたら、母が血相を変えて部屋に入ってきた。

 入ってきて早々、「大丈夫?」と尋ねてくる。

「まあ、いつもどおりだよ」と答えると、母がほっとした顔をした。

「あなたが発狂しながら、『ねんね、ねんね』って言っている声が聞こえたてきて、心配になったのよ」

 全く身に覚えがない。

 おそらく、母の幻聴だ。

 私より先に、母の方が参っていた。

 

 旦那さんのいる家に戻ってからも、上の子ちゃんは泣き続けた。

 夜中はどちらか一方が力尽きると、次の人に、という感じで、押し付け合いの日々だった。

 一体、この地獄はいつまで続くのだろう。

 睡眠不足でもうろうとする頭の中で、何度も何度も思った。

 そして、もう、どちらも、体力の限界だというところで、ようやく、上の子ちゃんがまとまって眠るようになった。

 

 出産前に、赤ちゃんが眠らなくてお母さんが参ってしまうというような記事や漫画を読んでことはあった。

 なのに、なぜ、すっぽり、そのことが頭から抜けていたのか、今でも不思議だ。

『へえ、そうなのか』と分かった気になってはいたけれど、実際に自分の身に起こることとして認識していなかったのかもしれない。

 

 子育てにだいぶ慣れてきた頃、近所のご夫婦にお子さんが生まれた。

 時折り、部屋の前を通ると、赤ちゃんの泣く声が聞こえる。

 ある日、下の子ちゃんを連れて歩いていたら、小さな赤ちゃんを抱いている奥さんを見かけた。

 あまり交流はなかったから、会釈して通り過ぎようとした。

 けれど、奥さんの顔があまりにも疲れ切っていて、昔の自分の姿に重なった。

「お子さん、何か月ですか」

 気づけば、声を掛けていた。

 奥さんは少し驚いた顔をして、それから、「二か月くらいになります」と答えた。

「夜中、なかなか寝てくれなくて、大変な時期ですね」

 すると、奥さんははっと顔を上げて、「もしかして、泣き声が聞こえていますか」と言った。

 私が慌てて否定をすると、奥さんはほっとした顔をした。

 そして、ぽつりと「これ、いつまで続くんですかね」と呟いた。

「その子にもよると思いますけれど、うちの子は二人とも、だいたい三か月くらいかな。それくらいたつと、少しずつ、まとまって寝てくれるようになりますよ」

 そう答えると、「良かった。もう少し、頑張ってみます」

 奥さんの顔が少しだけ、明るくなった気がした。

 

 旦那さんのおかあさんが、よくこう言っている。

 昔は大家族だったから、子供の面倒を見る手が沢山あったし、子供を生む前に、子育てを身近で見たり手伝ったりする機会があった。

 でも、今は核家族が中心だから、子供を生んで初めて子育てに触れるし、頼れる手も少ない。

 だから、追い込まれてしまうのかもね、と。

 

 最近、お風呂を出た後に、椅子に座って、お腹をぽんぽんと叩いていると、子供ちゃん達がやって来る。

 そして、「バブちゃん、元気?」とか話しかけながら、私のお腹にそっと手を当てる。

 上の子ちゃんが言う。

「ママ。私ね、バブちゃんが泣いていたら、とんとんって身体を叩いて、寝かしつけてあげるね」

 本当に優しい子達だ。

 でも。

 私は、こっそりと意地悪い笑みを浮かべる。

 いいかい、君たち。

 赤ちゃんは、そんな簡単に眠らないぞ。

 

 上の子ちゃんは大分、大きくなってきたから、出来れば、これから始まる三人目の子の育児のことを少しでも覚えていてくれたらいいな、と思う。

 それは、生まれたばかりの赤ちゃんがこれからどう育っていくのか、せっかくの機会だから知って欲しいな、というのもあるけれど、それより、なにより、これから育児していく過程で起こる大変な事々は、その子の成長にもよるけれど、遅かれ早かれ必ず終わりがあるということをしっかりと覚えていて欲しいのだ。

 正直、子育ては大変だ。

 寝不足、疲労、身体の痛み、孤独。

 それに加えて、いつまで続くのだろうという不安は、より一層、私たちを追い詰める。

 これはあくまで、今まで経験したことを通じて、ではあるけれど、子供は必ず成長し、出来るようになる。

 それがわかるまでには、なかなか時間を要してしまったけれど。

 子供ちゃん達が、ちゃんと証明してくれたから。

 どうか、追い詰められないで。

 希望を持ってほしいな、と思う。

 

「まずは、三か月を乗り切ろう」

 旦那さんとの合言葉だ。

 子が生まれて、最初に受ける洗礼。

 赤ちゃんの寝かし付け。

 三か月くらいは、きっと、寝不足必須になるだろう。

 相当辛いことはすでに経験済みだけれど、終わりが分かっているだけ、幾分か気は楽だ。

 

 夏から、また、子育てを一からやり直す。

 ちょっと、気が遠くなりそうだけれど。

 頼もしい子供ちゃん達が、二人もいてくれるから。

 今度はもう少し、楽しめるんじゃないかな。

 なんて、一人で勝手に思っている。

 

 

 

心残り

 妊娠してから、食べ物断ちをしている。

 お刺身、青カビチーズ、甘い物。

 お刺身は、夏が近づき、段々暑くなってきて、万一、食中毒の類にかかるといけないから。

 青カビチーズは熱を加えれば大丈夫だとは思うけれど、万一の場合、リステリア菌に感染する可能性があるから。

 甘いものは、現在、妊娠糖尿病を患っていて、量にもよるけれど食べると血糖値が上がってしまうから。

 どれも、私の好きな物で、普段からではないけれど、時々無性に食べたくなってしまうものだ。

 だから、「無事、出産したら、絶対に食べてやる」と旦那さんに言っている。

 そして、旦那さんは「食べろ、食べろ」と返してくる。

 

 先日、近所のケーキ屋さんで杏仁豆腐を売っているのを見かけた。

 夏にしか売られていなくて、去年は時季を逃して食べ損ねていた。

『今年は食べるんだ』と意気込んでいたら、今は悲しいかな、糖分断ち。

 仕方ないから、「出産したら、買ってきてね」と旦那さんに頼んでいる。

 

 ある晴れた暑い日のこと。

 旦那さんと一緒に歩いていたら、無性に、水羊羹が食べたくなった。

 近所の和菓子屋さんで売られている、これまた夏季限定の水羊羹だ。

 甘さ控えめで、つるりとしたのど越し。

 冷蔵庫でしっかり冷やして食べるのがお勧めだ。

「あーっ。食べたい!」

 思わず、口に出したら、旦那さんが「今から買ってくるか」と言う。

 その日はちょうど妊婦検診で、血液検査を受けてきた。

 血糖値についてはすぐその場でわかり、とりあえず、低くて安心したばかり。

 ここで食べたら、また、気が緩んでしまいそうで、「やめとく」と返しておいたのだけれど。

 

 昼食の準備をしていたら、急に頭の中に、出産したら食べたいものが色々と浮かんできた。

 我慢できず、全部口に出し、「出産したら、食べるもんね」と付け加える。

 旦那さんが横で、「うん、うん」と相づちを打つ。

 そう思っていたはずなのに、なぜか、御飯を茶碗によそっていたら、ふと、恐ろしいことを想像をしてしまった。

 いやいや、と慌てて打ち消すが、自分の胸だけには収まりそうもない。

「ねえねえ」

 傍に居る旦那さんに話しかける。

「もし、出産のときに死んじゃったら、私、全部、食べられないんだよね・・・」

 よく分からないのだけれど、それだけは嫌だな、と思ってしまう。

 ずっと、我慢しているのだ。

 ようやく、もう少しで食べられる、というところで事切れるのは、納得いかない。

「やっぱり、食べたいときに食べといた方がいいんじゃないか」

 旦那さんの言葉に、私の心が一瞬揺らぐ。

 

 一応、出産は二回経験しているわけだから、今回も大丈夫だとは思っている。

 でも、何事にも、万一、はある。

 だから、もしもの場合に備えて後悔しないよう、出産する前には必ず毎回、旦那さんと子供ちゃん達にちょっとした手紙を書いておく。

 そして、無事終わったら、恥ずかしいから、全部処分する。

 

「今日はやめておくけれど、ただ・・・」

 頭に浮かぶのは、某ケーキ屋さんの杏仁豆腐。

 これだけは食べておかないと、私は成仏できそうにないらしい。

 出産するまでは、我慢しようと心に決めていたはずなのに・・・。

『念の為、出産予定日の数日前くらいになったら、杏仁豆腐だけは食べておこうかな』

 そんなことを、思ってしまったのであった。

あれやこれ

 幼稚園へ行くようになってから、下の子ちゃんはよく歌を歌うようになった。

 朝でも夜でもお風呂の中でも。

 楽しそうに歌っている。

 どれも、幼稚園で教わってくる歌だ。

 ご丁寧に振付までしてくれる。

 あまりに楽しそうに歌うから、私もつられて歌ってしまう。

 

 先日、下の子ちゃんの個人懇談があった。

 先生から幼稚園での様子を聞く。

 おままごとをしたり、工作をしたり。

 積極的に、遊んでいるらしい。

 最近のお気に入りは、プラレールだそうだ。

 ちょっと意外で、驚く。

 上の子ちゃんは小さい頃、汽車や乗り物が大好きだった。

 だから、我が家にはプラレールが置いてあって、上の子ちゃんはよく遊んでいた。

 でも、下の子ちゃんが遊ぶことはあまりなかった気がする。

「へえ、下の子ちゃん、プラレールで遊んでいるんですか」

 幼稚園へ行くようになって、色々な刺激を受けているのだなと思っていたら、どうやら、少し違うらしい。

 下の子ちゃんのお気に入りはプラレールの『踏切』だ。

 その踏切は電車が通ると音が鳴るらしい。

 下の子ちゃんはそれを片時も離さず、おままごとをしている時も、工作をしている時も、気が向くと鳴らすのだそうだ。

「どうして、踏切を持ち歩いているの?」と尋ねたら、「面白いから」と言う。

 新手の楽しみ方である。

 そして、我が家のプラレールの中にもお気に入りを見つけたらしい。

 自動ポイントレールだ。

 そのレールを横抱きにし、黄色いポイントの切り替え部分をカシャカシャと指で鳴らして、ギター代わりにしている。

 もちろん、歌付きだ。

 なかなか、様になっている。

 幼稚園でも披露したらしく、お友達から「ギター、いいねえ」と羨ましがられたらしい。

 何を歌っているのと聞いたら、プ〇キュアとかリュ〇ソウジャーだという。

 なんだか、賑やかで楽しそうだ。

 一度でいいから、幼稚園で下の子ちゃんが遊んでいる様子を見てみたい。

 

 下の子ちゃんは幼稚園へ行くとき、不織布のマスクをしていく。

 リュックの中に数枚、替えのマスクを入れているのだが、必ず、替えのマスクを使ってくる。

 本人曰く、「汚れたから替えた」らしい。

 でも、朝つけていったマスクを見てみても、汚れている気配はなくて、単に気分の問題なのかな、と思ってしまう。

 使い捨てのマスクだから、毎日、名前を書かかなければならないのだけれど、いたずら心で、ある時からちょっとした絵を添えるようにした。

 テントウムシとかお花とか。

 それが、どうやら、下の子ちゃんのお気に召したらしい。

 その日から、マスクを替えることが無くなった。

 しかも、生き物を書いた日には、「女の子だから」という理由で、まつげなどを付け足す。

 なんだか、化け物みたいになっている。

 恐竜を描いたら、なぜか青一色に塗りたくられた。

「どうして、全部塗っちゃったの」と聞いたら、「ハロウィンに出てくる怖い恐竜なの」と言う。

 よく分からないけれど、本人はご満悦でつけてくれているので、良しとする。

 

 下の子ちゃんは、ちょこちょこ言い間違いをする。

 カエルのキャラクターの『ケロケ〇ケロッピー』を『ケロッパー』と言う。

 なんだか最後の響きが可笑しくて、笑ってしまう。

 すると、傍に居た旦那さんに「君の血だねえ」と揶揄われた。

 確かに、私もよく、どこか言葉がおかしい時がある。

 自分でも、違和感を抱くのだけれど、どこを間違えているか分からない。

 お陰で、旦那さんからはいつも、「間違い探しのようだ」と言われている。

 この間、突然、背後から下の子ちゃんが「くらめしや~。くらめしや~」と言ってきた。

 振り向くと、両手を胸の前でだらりと下げてこちらを見ている。

「うらめしや~だよ」と間違いを指摘すると、「くらめしや~だ」と言い張る。

 近くで聞いていた上の子ちゃんがすかさず、「下の子ちゃん、うらめしや~だよ」と言う。

 すると、どうだろう。

 下の子ちゃんは「うらめしや~」言いなおしたのだ。

 どうやら、私は下の子ちゃんの信用を失っているらしい・・・。

 

 上の子ちゃんは、分からない問題があると、よく一人で怒っている。

「これ、難しいよ~」から始まり、最終的には「私、馬鹿なんだ~」と泣きながら怒る。

「今日も派手に怒っているね」と呟くと、旦那さんが「君そっくり」と言う。

 あまり認めたくないけれど、よく一人で怒っているのは確かだから。

 言い返せないのが辛い。

 

 私がよく怒っている時でも、下の子ちゃんはお構いなしに私の所へやって来る。

抱き着いて着たり、お願い事をしてきたり。

 あまりにも平然と近寄って来るから、「ママ、今、怒っているのだけれど、怖くないの」と何回か尋ねたことがある。

 いつも、「全然、怖くない」と言われる。

 多分、私の怒りの矛先が自分に向かないポイントを心得ているのだろう。

 そんな下の子ちゃんは、私の胸きゅんポイントもよく心得ている。

 時折り、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、舌を横にちらりと出してみたり(どこで、こんな顔を覚えたのだろう)、うつぶせになり、座布団を背中に乗せ「座布団ガメ」と言ってみたり。

 疲れている時でも、下の子ちゃんを見ていると、くすりと笑って元気が出る。

 思わず、「下の子ちゃん、かわいいねえ」と口走ると、「わぁー」と上の子ちゃんが大げさな泣き真似をする。

「私は可愛くないんだー」

 いやいや、一言もそんなこと言ってないよ。

 上の子ちゃんも、十分にかわいい。

 

 親ばかだけれど、下の子ちゃんがあまりにもかわいいポーズばかりするから、上の子ちゃんがいないときに、こっそり聞いてみた。

「ねえねえ、下の子ちゃん。どうして、そんなにかわいいの?」

 下の子ちゃんがどう答えるか、ちょっとした興味もあった。

「それはね」と下の子ちゃんが、はにかみながら答える。

「ママのお腹から生まれたから」

 あまりにも完璧な答えに、何も言い返せない。

 ただ、頭の中で(自分が育てているのだけれど)どうやって育てたら、こんな子に育つのかしらん、などと思ってしまったのであった。

 

準備

 我が家の朝は戦争だ。

 御飯を作り、旦那さんと協力して、子供ちゃん達を起こし、小学校や幼稚園へ行く支度をさせ、掃除や洗濯などの家事などをする。

 本当は一気に片付けてしまいたいが、お腹が大きくなってきてから、すぐ疲れてしまって、小休憩をいくつも挟みながらしかできない。

 ようやく家事が一通り終わる頃に、下の子ちゃんをバスに乗せる時間が来る。

 下の子ちゃんを無事、バスに乗せると、私のひとり時間となる。

 ご近所さんをくるりと一周し、家に戻る。

 ゆっくり朝食を食べ、血糖値を下げるために、また、一時間ほど散歩へ出かける。

 家に帰り、少し休憩したら、乾いた洗濯物を取り込む。

 昼ご飯を食べる。

 また、一時間ほど歩く。

 休憩する。

 そうしたら、もう、子供ちゃん達の帰って来る時間になる。

 

 子供ちゃん達の新生活が始まったら、寂しくなってしまうかな、と思っていた。

 けれど、毎食後一時間歩かなければいけないし、その後、しばらく疲れて動けなくなってしまうから、日中一人といっても、案外、自由な時間はないことに気付く。

 そして、最近は、遅ればせながら、三人目の子のための準備を本格的に始めた。

 本当はゴールデンウィークの間にやる予定だったのだけれど、下の子ちゃんが体調を崩していたため、ずっと先延ばしになっていたのだ。

 赤ちゃん用品は、ほとんど処分してしまっていた。

 だから、また、揃え直さないといけない。

 もともと、私はせっかちな方だ。

 やるべきことはさっさと済ませてしまいたい。

 いつもの私なら、もっと早々に取り掛かっていたはずだ。

 でも、今回はどうもその気がおきないのだ。

 多分、出産までの道のりが、まだまだ遠くに感じられてしまうからだ。

 妊娠中に家族がコロナに感染したらどうしよう、とか、毎日、血糖値を安定させなきゃいけないのが辛いなあ、とか。

 妊娠中に付きまとう、不安とかストレスみたいなものから早く解放されたくて仕方ない。

 今月に入り、カレンダーを一枚捲ったら、上の子ちゃんが「もうすぐ、生まれてくるねえ」と言った。

 旦那さんも、三人目の子供ちゃんが生まれてくる前になるべく大きい仕事は終わらせておきたいらしく、「もう、六月になったか」と言っていた。

 でも、私はそう思えなくて、「多分、私は予定日の十日前くらいになってようやく、カウントダウンができるんだろうな」と呟いた。

 決して、お腹の子が厭わしいわけではない。

 ただ、ちょっと気疲れしているだけ。

 

 旦那さんと延期した赤ちゃん用品集めをいつやろうかという話になって、まだ、自分の入院中に必要なものも揃えていないことに気付いた。

 そう言ったら、「そちらの方を、先にやったほうがいいんじゃない」と返された。

 赤ちゃん用品は最悪、入院中に揃えればいい。

 けれど、出産は一応、予定日は決まっているものの、実際、いつ出産するかは分からない。

 万一、早産の可能性もある。

 旦那さんの話はごもっともで、私もいよいよ重い腰を上げたのだった。

 三人目ともなると、だいたい必要なものは分かっている。

 ただ、実際、子供ちゃん達二人の時に使ってみて使いづらかったものもある。

 そういうものについては、また新しく調べ直さないといけない。

 価格、口コミ、いつまで使うか、などを考えながらひたすらネットで検索している。

 なかには、実際に自分で使ってみないと分からないだろうな、というものもあるし、三人目にして新品で購入しても使う月数は限られているよな、というのもあって、選ぶのになかなか難航している。

 ある程度、必要なものが揃ったら、今度は部屋の配置換えも考えないと、と思う。

 結婚してすぐ、上の子ちゃんを授かったから、我が家はつい最近まで、あらゆるところに柵が張り巡らされていた。

 下の子ちゃんが大きくなり、やってはいけないことを理解してくれるようになったので、外すことになった。

 柵を外した時は、結婚数年目にして、ようやく、檻に入っているような生活から抜け出せると喜んだものだ。

 できれば、檻に入っているような生活に逆戻りしたくないし、さて、今度は、どうしたものだろう。

 そうやって色々と考えていると、意外に、残されている時間は少ないと気づく。

 ただ、今一つ、肝心のやる気が起きない。

 まあ、根詰めて考えても、行き詰ってしまうだけだし。

 ようやく、重い腰を上げたのだ。

 ここは焦らず、久しぶりのひとり時間に、ぽちりぽちりとやっていこうと思うのであった。

 

勢力争い

 夜、トイレに行きたくて目が覚める。

 お腹が大きくなってきたおかげで、お腹の下部が圧迫されている。

 パンパンに張ったお腹で、よいしょ、と上半身を起こす。

 お腹の下部がきりきりと痛む。

 無事、トイレを済ませる。

 お風呂からシャワーの水音が聞こえる

 旦那さんがお風呂に入っているのだ、と気づく。

 時計を確認すると、深夜一時前。

 もうひと眠りできそうだ。

 一応、子供ちゃん達の様子を確認する。

 二人とも、布団から飛び出して、それこそ、真ん中で身を寄せ合って眠っている。

 敷布団を三枚並べて、両端に寝かせているはずなのに、眠っている間も本当に仲が良くて微笑ましい。

 でも、このまま放っておくと、いずれ、どちらかが下敷きになって泣きだす恐れがあるので、少し離しておく。

 自分の布団にごろりと寝転がり、抱き枕を傍に寄せる。

 最近は、横向きでないと息苦しくて眠れないし、抱き枕は必須だ。

 だんだん眠気が襲ってきて、欠伸も出てくる。

 今日も上手く寝付けそうだ。

 ボンっ。

 お腹の内側に鈍い衝撃が走る。

 ボン。ボン。ボン。

 ああ、起きてるんですね、と思う。

 なだめるように、ポンポンとお腹を軽く叩く。

 ボン。ボン。ボン。

 また、振動が返って来る。

 そのまま放って寝てしまおうと思ったが、今日はやけに激しい。

 お腹の中を縦横無尽に蹴り?まくっている。

 しかも、まったく、静まる気配がしない。

 今日に限って、この子、どうしたのかしら。

 泣いている赤ん坊なら、抱っこしてあやすことはできるけれど、お腹の中の子はどうすればいいのだろう。

 とりあえず、蹴られる度、何度もお腹を軽く叩いてみるがお気に召さないらしい。

 眠たいのに眠れない。

 それどころか、だんだん、気持ち悪くなってきた。

 身体の向きを色々と変えてみる。

 それでも、胎動は激しく伝わってきて、ついには「うっ」と吐き気が込み上げてきた。

 困ったな・・・。

 旦那さんが、お風呂からあがる気配がする。

 ふらふらと立ち上がり、旦那さんの元へと行く。

「胎動が激しすぎて眠れない」

 自分ではどうしようもできなくて、旦那さんに助けを求める。

 でも、旦那さんだってそんなこと言われても困るだろうな、と思う。

「それは大変だね」

 お風呂上がりの旦那さんと一緒に寝室へ向かう。

 寝室に入ると、旦那さんは私と同じように子供ちゃん達を眺め、「本当に、仲がいいな」と感想を漏らす。

 さっき離しておいたはずなのに、もう、くっついている。

 旦那さんは子供ちゃん達を抱え、それぞれの布団へ戻す。

 そして、寝転がった私のお腹に手を当てた。

 さっきまでの激しい胎動が、嘘のようにぴたりと止む。

 不思議なのだけれど、ぽこぽこと動き回っている時に、子供ちゃん達や旦那さんが手を当てるとしばらく静まるのだ。

 まるで、こちらの様子を伺っているように。

 そして、また、今度は遠慮がちにぽこぽこと動き始める。

 旦那さんは、私のお腹に手を当てながら話しかける。

「君も夜が強いねえ」

 ぽこっとお腹が動く。

「でも、夜は早く寝ないといけないよ。まあ、僕が言うのもなんだけれど」

 旦那さんは夜型だ。

 上の子ちゃんも、小学校へ行くまでは夜型だった。

「今日は、動き足りなかったかな?」

 なんだか、もぞもぞしている。

「もしかして、寂しかった?」

 ぼんっと力強く蹴られる。

 一瞬、言葉がわかるのかしらんと思ってしまう。

「まあ、うちの子ちゃん達はみんな、寂しがり屋だからねえ」

 それから、しばらく旦那さんはお腹に話しかけていた。

 そしたら、胎動も少しずつ治まってきた。

「そろそろ、眠くなったかな」

 旦那さんがお腹から手を外す。

「ありがとう」

 私はお礼を言い、身体を横に向ける。

 これなら、眠れそうだ。

 たまたま、タイミングがあっただけかもしれないけれど。

 お腹に話しかけるのは案外、効果的なのかもしれない、と思う。

 そして、今日のことを振り返る。

 私、そんなにも、この子に構ってあげてなかっただろうか。

 いつもどおり、手が空いている時に胎動を感じたら、ポンポンと叩き返していたはずだ。

 ただ、今日は、みんな、お風呂に入るのが遅かった。

 いつもは、お風呂から上がると、しばらく椅子に座って、休憩がてらお腹をぽんぽんと叩く。

 お風呂に入ってから、出てしばらくの間、胎動が続くからだ。

 まだ、子供ちゃん達が起きている時は、子供ちゃん達も一緒にお腹に手を当てて話しかける。

 でも、今日は遅かったから、お風呂から出て早々に寝てしまった。

 もしかして、それのせい?

 

 ふと、三人の子を育てているお宅にお邪魔した時のことを思い出す。

 元気な子たちで、上の子二人は部屋の中を動き回っていた。

 それだけでも、私から見ればカオスの状態。

 さらに、まだ歩けぬ一番下の子は、椅子に座って大きな声で泣いていた。

 お母さんが、疲れのにじんだ声で言う。

「このまま泣き疲れて、眠ってくれないかしら」

 初めての子なら、すぐ抱き上げてあやしているだろう。

 でも、三人目ともなると、こうなってしまうのかもしれない。

 子供が増える度、お母さんも学習し、段々と、手の抜き加減が分かってくる。

 一番下の子は、延々と泣き続ける。

 兄弟が多くなればなるほど、強く主張しないと構ってもらえない。

 帰り際、一番下の子に声を掛けた。

「逞しく生きるんだよ」

 

 そして、今。

 まさに、その状況じゃないか?

 

 とりあえず、このまま毎晩、胎動が激しいのは困る。

 なので、今夜は早めにお風呂へ入って、お腹の子に構ってあげる時間を作ろうと思う。

 それから、少し恥ずかしいけれど、旦那さんがしてくれたように、話しかけてみよう。

 子供が二人から三人になり、子供ちゃん達との関わり方がどう変わっていくかは、まだ、わからないけれど。

 もうすでに、少しずつ、変化しているような気がしてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

夫婦の時間

 先日、結婚記念日を迎えた。

 ちょうど、その日、旦那さんは仕事をお休みしていた。

「今日、何の日かわかる?」と聞いたら、「結婚記念日でしょ」と返された。

 そして、少し意外そうに「君も覚えてたんだね」と付け加えた。

 そうなのだ。

 私はよく、結婚記念日を忘れる。

  結婚する前は、もし、結婚したら、毎年、結婚記念日は夫婦で祝えるといいな、なんて思っていた。

 けれど、結婚して、すぐに上の子ちゃんを授かって、そのまま育児に邁進していたら、いつの間にやら頭の中から消えていた。

 子供ちゃん達の誕生日は覚えていても、自分の誕生日は忘れている。

 ましてや、結婚記念日なんて・・・。

 旦那さんの方が、そういうことはよく覚えていてくれた。

 だから、結婚して数年くらいは、記念日になると美味しいジュース(私はお酒が飲めないので)とか、なにやら買ってきてくれた。

 けれど、私の反応が毎回、あまりにも薄いため(というよりは、育児に追われ余裕がなかったため)そのうちやめてしまった。

 そして、今年も。

「もし、妊娠してなかったら、お祝いに、二人でランチとか行ってたのかな」

 今年から、上の子ちゃんは小学校に、下の子ちゃんは幼稚園へ行っている。

 だから、昼間の早い時間なら子供ちゃん達はいない。

 ぼそりと漏らす私に、旦那さんが返す。

「コロナ禍じゃなかったらね」

 笑いながら、そうだね、と答える。

 結局、今年も難しかったのだ。

 夏からはまた子育てに追われるだろうし、そう考えると、二人でゆっくり祝えるのは、また数年先のことかと思う。

 

 旦那さんとは、付き合って一年くらいで結婚した。

 それまで、一応、旦那さんのことは知っていたけれど、じっくりと話す機会はなかった。

 一度話してみたら気が合って、お互い、結婚願望もあったから、結婚を前提にお付き合いした。

 そして、一気にゴールイン。

 新居を整えている間に身ごもって、悪阻等々を乗り越え、出産。

 旦那さんとは、今まで、ほとんどの時間を『夫婦』としてよりも「パパ・ママ」として過ごしている。

 それに対して、全く不満はない。

 早く子供は欲しかったから。

 でも、やっぱり、夫婦であることも忘れたくなくて、旦那さんを呼ぶときは、今でも名前で呼んでいる。

 

 最近、子供ちゃん達がそれぞれ、学校や幼稚園に通うようになって、疲れているのか、以前よりも少しだけ早く寝るようになった。

 といっても、私も早めに寝ないと身体がもたないので、ほとんど一緒に寝てしまうのが常だけれど。

 ただ、時々うまくいくと、少しだけ、旦那さんと二人だけの時間ができるときがある。

 結婚してから、何年ぶりかの夫婦の時間だ。

 

 旦那さんは、もともと、自分の仕事については、あまり自分から話す人ではなかった。

 聞けば答えてくれるけれど、ざっくりと、だ。

 決して、人に言えない仕事をしているから、と言うわけではない。

 ただ、仕事をしていると、公にはできないことに触れることもある。

 普段からぺらぺらと話していると、ふとした弾みに、口が滑ってそういうことを話してしまうかもしれない。

 そういうことを防ぐために、旦那さんはあまり話さないようにしているらしい。

 旦那さんは、真面目な人なのだ。

 旦那さんは、仕事の空気を家に持ち帰ることもしない。

 いつも家に帰ってくるときは、「ただいま」と言って帰って来る。

 そして、子供ちゃん達のお世話をしたり、夕飯を食べたりする。

 機嫌がいいことはあっても、機嫌悪く帰ってくることはまずない。

 でも、時々、ちょっと、口数が少ないな、とか、いつもより会話に余裕が感じられないな、というような違和感がある時がある。

 そういう時、私は「今日、仕事で何かあった?」と尋ねる。

 すると、旦那さんは「よく分かったね」と驚いた顔をする。

 そりゃ、そうだ。

 もう、何年もあなたと夫婦をしてますもの。

 

 二人きりの時間が作れるようになってから、旦那さんは時々、仕事の愚痴をこぼすようになった。

 それは、多分、旦那さんも年齢を重ねて、職場での立場が変わってきたり、コロナで人に会う機会が減ったり、子育てが少し落ち着いて、私に余裕ができたり、というような色々な要因があってのことだとは思う。

 ただ、要因はどうあれ、私は嬉しいのだ。

 もちろん、仕事の愚痴と言っても、「ちょっとトラブルが発生した」とか「もうすぐ締め切りのものが何件もある」とか。

 内容には一切触れず、本当に、ざっくりとしたものだ。

 でも、旦那さんも今、仕事で大変なんだな、頑張っているんだな、て、わかるから。

 旦那さんはそういうことでさえ、今まで言わなかった。

 家に帰ってくると、子供ちゃん達の世話をしながら、子育てでストレスのたまった私の愚痴をずっと聞いてくれていた。

 だから、というわけではないけれど、私自身、どこか、旦那さんの仕事を軽視していたところがあったと思う。

 旦那さんの帰りが遅くなると、『どこか遊びにいってるんじゃないかしら』とか思ってしまうこともあったし、仕事をするのは大変なことだと頭では分かっていてもつい、『小さい子供ちゃん達の面倒を見ている私の方が大変』という態度をとってしまうこともあった。
(ただ、弁解すれば、子供ちゃん達が小さい頃は、本当に自分に余裕がなかった。)

 今、少し時間が出来て、旦那さんの軽い愚痴?めいたものを聞くようになったおかげで、ふとした時に、旦那さんも今、仕事頑張っているんだな、とか、最近、大変って言っていたから、今日は帰りが遅くなるかなとか。

 そういう風に、考えられるようになった。

 

 夜、子供ちゃん達二人が早く寝付いてくれると、私はそろりそろりと、旦那さんの元へ行く。

 そして、二人で愚痴を言い合う。

 旦那さんは仕事の愚痴、私は、子育ての愚痴。

 まあ、私が喋っているのがほとんどだけれど。

 でも、一方的に話していたあの頃より、旦那さんと向き合えている気がする。

 

  子供が生まれたら、また、しばらく、こういう時間は取れなくなってしまうだろう。

 だから、残されたあと少しの時間を、大切にしたいな、と思っている。

                                                                               

命と向き合う

   子供ちゃん達とお夕飯を食べていた時、気まぐれにテレビをつけた。

   ちょうど、画面には焼き立ての美味しそうなソーセージが映されていて、子供ちゃん達が「ママ、これ食べたい」と声を上げる。

「そうだね。美味しそうだね」などと返すと、上の子ちゃんが「ねえ、ママ」と私に話しかけてくる。

「ソーセージって豚さんから作るんだよね。それは、豚さんを殺しちゃうってこと」

  上の子ちゃんの質問に、ギクリとする。

  私はこの手の話は苦手だ。

  しかも、不意打ち。

  なるべく平静な顔を装って、「そ、そうだね」と答えると、すかざず、「可哀想だね」と返ってくる。

  思わず、「うん。だから、ママ、子供の頃、お肉食べたくないって悩んじゃったことあったよ」と口が滑った。

  そして、内心、『どうしよう』と焦る。

  ここから、どう会話を持っていけばいいのかが、思いつかない。

  急いで、子供の頃、『可哀想』と思ってから、どう考えてまた、お肉を食べようという気になったのかを必死に思い出す。

  けれど、こういう時に限って、なかなか思い出せないものだ。

  すると、上の子ちゃんは落ち着いた口調で、「ママも、そんなことがあったんだねえ」と言った。

  そして、「確かに、殺しちゃうのは可哀想だけれど、だから、食べる時はいつも『栄養になってくれてありがとう』って思うことにしてるよ」と続けた。

  上の子ちゃんの言葉に助けられる。

  そして、心の中で、『命を頂くということのありがたさ』と反芻する。

  決して、忘れていたわけではない。

  多分、それが、『可哀想』という言葉に対して、最良な答えではないかと思っている。

  だけれど、すぐ答えられなかったのは、私自身はまだ、その答えでは消化しきれていないからだ。

  私は、命を奪って食べていることに、なにかしらの後ろめたさみたいなものを持っている。

  上の子ちゃんがいうような『ありがとう』という気持ちには、まだ、たどり着けていない。

  命を頂く。

  そう意識してしまうと、途端に、食べることが辛くなる。

  だから、なるべく、目をそむけて考えないようにしている。

 

 旦那さんの実家で、子供ちゃん達が虫取りを楽しんだ日。

  上の子ちゃんが泣きそうな顔で私の所へやって来た。

「オレンジ色の大きな蝶々を捕まえたの。でも、捕まえた時、羽を少し傷つけちゃった。あの蝶々、どうなるの?」

   飛べなくなった蝶々は多分、早々に死んでしまうだろう。

   蝶々は飛べるからこそ、敵から逃げることができる。

   それができないなら、厳しい自然界を生き残ってくことは難しい。

   そう思ったら、途端に気が重くなってしまった。

「そうだねえ。生きていくのは難しいかもしれない。だから、これから虫を捕まえる時は、傷つけないようにしようね」

  そう答えるのが、精一杯だった。

  上の子ちゃんは優しい子だから、これからはより、虫の扱いに気を付けるだろう。

  でも、虫一匹の命と引き換えにそのことを学んだのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。

 

   朝、下の子ちゃんを幼稚園バスに乗せるために、バス停へ向かっていた時のこと。

   下の子ちゃんが、コンクリートの壁にくっついている青虫を見つけた。

「ママ、青虫さんがいる!」

   下の子ちゃんは躊躇うことなく、青虫を摘まもうとし、私は下の子ちゃんの伸ばした手を反射的に掴んだ。

「やめておこう」

   深い理由はない。

   私が怖かっただけだ。

   数日後、見つけた場所から少し離れたところで、青虫は死んでいた。

   下の子ちゃんが見つけたのだ。

   下の子ちゃんが私に問う。

「ママ、どうして青虫さんは死んじゃったの」

「青虫さんの食べる物がなかったからかな」

   周りはコンクリートで固められ、草一本生えていないところだった。

   しかも、この数日間、ずっと暑い日が続いていた。

「そっか」

 下の子ちゃんがしょんぼりとする。

   ふと、青虫を見つけたあの時、下の子ちゃんの摘まもうとした手を止めず、近くの草原においてあげようと提案すれば良かったのかな、と思う。

  そうしたら、まだ、生きていたかもしれない。

  そう思ったら、私もしょげてしまった。

 

   最近、『命』に思いを馳せる機会が増えたように思う。

 多分、子供ちゃん達が敏感に『命』に反応しているからだ。

 そして、容赦なく私に尋ねてくる。

   どうして、と。

   その度に、私は戸惑い、逃げ出したくなる。

 私は『命』と向き合うことが苦手だ。

 考えれば考えるほどに、気持ちが沈んでいく。

 

 旦那さんにそうボヤいたら、「答えが分からないものは分からないで良いんじゃない。子供と一緒に考えれば」と言われた。

   確かにそうだ、思う。

   じゃあ、考えたくない質問は…。

 できれば、避けて通りたい。

 でも、子供ちゃん達にも、タイミングというものがある気がするのだ。

   ちょうど、今、子供ちゃん達は生き物に興味を持っていて、『命』っていうものを少なからず、意識し始めている。

   せっかく向き始めたその意識を、逸らしてしまうのはいけない気がする。

「ああ、辛いな」

   心内が漏れる。

   子供ちゃん達の問いにはきちんと答えてあげたい。

   でも、答える度に、胸がずしんと重くなる。

   せめて、それから、逃れる術が見つかればいいのに、と思う。

「本当に、あなたは悩むのが趣味だねえ」

   旦那さんが笑う。

「好きで悩んでいるわけじゃ、ないんだけれどねえ」

   私はむっとしながら返す。

   まさか、この年でまた、向き合うことになるなんて、思いもしなかったから。

   そこから抜け出せそうもない私の苦悩は、まだまだ続く。

 

   正直、拙い私の言葉が子供ちゃん達の心に届いているかは分からないし、子供ちゃん達が今、どう感じているかもわからない。

   ただ、せっかくの機会だ。

    ほんの少しでもいい。

    子供ちゃん達なりの向き合い方を見つけてもらえたらいいな、と思う。